佐々十竹(読み)サッサジッチク

デジタル大辞泉 「佐々十竹」の意味・読み・例文・類語

さっさ‐じっちく【佐々十竹】

[1640~1698]江戸前期の儒学者。讃岐の人。名は宗淳。水戸藩登用されて、「大日本史編纂へんさんのため全国史料探訪した。彰考館総裁。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「佐々十竹」の意味・読み・例文・類語

さっさ‐じっちく【佐々十竹】

江戸中期の儒者水戸藩士。讚岐国(香川県)の人。名は宗淳(むねきよ)、通称助三郎。京都の妙心寺で仏教を研鑽したが、のち、仏説を疑って儒学に帰し、朱舜水に学び、水戸の徳川光圀の登用を得て近侍として仕え、「大日本史」の編纂のため全国に史料を採訪。彰考館総裁に挙げられる。著「南行雑録」「十竹斎文集」など。寛永一七~元祿一一年(一六四〇‐九八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「佐々十竹」の意味・わかりやすい解説

佐々十竹 (さっさじっちく)
生没年:1640-98(寛永17-元禄11)

江戸前期の史学者。本名宗淳(むねきよ),通称介三郎,十竹は号。15歳で京都妙心寺の僧となったが,34歳ごろ還俗,江戸に出た。1674年(延宝2)35歳のとき水戸藩主徳川光圀に招かれて《大日本史》編纂に従事,京都,奈良をはじめ九州,中国,北陸地方巡歴,史料の収集に活躍した。88年(元禄1)に彰考館総裁。《十竹遺稿》《南行雑録》などの著書がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐々十竹」の解説

佐々十竹 さっさ-じっちく

佐々宗淳(さっさ-むねきよ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐々十竹」の解説

佐々十竹 (さっさじっちく)

生年月日:1640年5月5日
江戸時代前期の歴史家
1698年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐々十竹の言及

【徳川光圀】より

…講釈で渥美格之丞。格さん),佐々十竹(さつさじつちく)(通称介三郎。講釈で佐々木助三郎。…

※「佐々十竹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android