佐々木邦(読み)ささきくに

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐々木邦」の意味・わかりやすい解説

佐々木邦
ささきくに
(1883―1964)

小説家。静岡県に生まれる。明治学院を卒業し、各地の高等学校や大学で英文学を講ずるかたわら、マーク・トウェーンなどを翻訳し、その影響で、日本では少数派であるユーモア小説作家となった。作品に『地に爪(つめ)跡を残すもの』(1931~34)、『愚弟賢兄』(1928)、『ガラマサどん』(1930)、『求婚三銃士』(1934~35)などがあり、少年少女向きに『苦心学友』(1927~29)、『村の少年団』(1930~32)、『少女百面相』(1932)、『トム君サム君』(1933)などがある。彼の作品は健全な合理主義根底にもっており、ともすれば落語風の駄洒落(だじゃれ)に終わりがちだった日本のユーモア小説に、初めて近代的な性格を与えたといえる。

上笙一郎

『『佐々木邦全集』10巻・補巻5(1974~75・講談社)』『二上洋一著『少年小説の系譜』(1978・幻影城)』

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改訂新版 世界大百科事典 「佐々木邦」の意味・わかりやすい解説

佐々木邦 (ささきくに)
生没年:1883-1964(明治16-昭和39)

小説家。静岡県駿東郡清水村(現,清水町)に生まれる。父の林蔵は建築技師。青山学院から慶応義塾大学理財科予科に転じ,明治学院高等学部に学んだ。卒業後釜山の商業学校の英語講師を皮切りに第六高等学校,慶応義塾大学予科などで教鞭をとる。学生時代からマークトウェーン,ジェローム・K.ジェロームなど英米のユーモア作家に傾倒。《いたづら小僧日記》(1909)で注目され,《おてんば娘日記》(1909),《珍太郎日記》(1920)を発表,小市民的な良識に支えられた近代的な明朗作家として広く読まれた。おとな物では《愚弟賢兄》(1928),《ガラマサどん》(1930),子供物では《苦心の学友》(1927-29),《村の少年団》(1930-32)などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐々木邦」の意味・わかりやすい解説

佐々木邦
ささきくに

[生]1883.5.4. 沼津
[没]1964.9.22. 東京
小説家。 1905年明治学院高等部卒業後,第六高等学校,慶應義塾大学予科などで英文学を講じた。 49~62年明治学院大学教授。 M.トウェーンの作風にひかれ翻訳から入って創作に志し,『悪戯 (いたずら) 小僧日記』 (1909) を刊行して日本で最初の近代的ユーモア作家という独自の道を開いた。ほのぼのとした笑いを誘う軽妙な作風が昭和初期の読者に迎えられて,佐々木邦時代をつくった。『主権妻権』 (26) ,『新家庭双六』 (28) ,『愚弟賢兄』 (28) ,『地に爪跡を残すもの』 (34) のほか,『苦心の学友』 (27~29) などの少年少女向けユーモア小説も多い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐々木邦」の解説

佐々木邦 ささき-くに

1883-1964 明治-昭和時代の小説家。
明治16年5月4日生まれ。六高,慶大予科,戦後は明治学院大の教授となり,英米文学をおしえた。マーク=トウェーンの影響をうけ,明治42年「いたづら小僧日記」を刊行。近代的ユーモア小説で知られる。昭和36年児童文芸功労賞。昭和39年9月22日死去。81歳。静岡県出身。明治学院高等部卒。作品に「愚弟賢兄」「地に爪跡を残すもの」など。

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百科事典マイペディア 「佐々木邦」の意味・わかりやすい解説

佐々木邦【ささきくに】

小説家。静岡県生れ。明治学院卒。学生時代からマーク・トウェーンを愛読し,《トム・ソーヤーの冒険》などの翻訳もしている。大正から昭和初期に流行した大衆文学の一ジャンル,ユーモア小説の開拓者で,サラリーマン家庭などを舞台にした明朗な笑いは広く読者を得た。《愚弟賢兄》《ガラマサどん》《苦心の学友》等がある。

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