20世紀日本人名事典 「佐伯 定胤」の解説
佐伯 定胤
サエキ ジョウイン
- 生年
- 慶応3年6月25日(1867年)
- 没年
- 昭和27(1952)年11月23日
- 出生地
- 奈良県
- 別名
- 幼名=角二郎
- 学歴〔年〕
- 奈良教師教校(奈良師範学校)〔明治17年〕卒
- 経歴
- 6歳で法隆寺に入り得度、明治9年佐伯懐厳の養子となる。13〜17年奈良教師教校に学び、23年まで京都泉涌寺佐伯旭雅のもとで仏教学を修めた。26年法隆寺に帰任、法相宗学頭、勧学院院長を務め、31年法相宗管長事務取扱、35年大僧正、36年法隆寺住職(貫主)となり、昭和25年まで務めた。その間3度法相宗管長に選ばれ、のち法隆寺長老となった。昭和4年帝国学士院会員に選ばれた他、東大、京大などで唯識学を講じた。また24年には法隆寺金堂炎上に遭い、25年法隆寺を法相宗から分離、新たに聖徳宗を開き本山とした。「勝鬘経講義」の著述のほか「勝鬘経疏会本」「維摩講義疏会本」などを校定出版した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報