佐倉市(読み)サクラシ

デジタル大辞泉 「佐倉市」の意味・読み・例文・類語

さくら‐し【佐倉市】

佐倉

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日本歴史地名大系 「佐倉市」の解説

佐倉市
さくらし

面積:一〇三・五九平方キロ

印旛いんば沼の南岸に位置し、北対岸は印旛郡印旛村、東は同郡酒々井しすい町・八街やちまた市、南は八街市・千葉市・四街道市、西は八千代市。市域全体は台地と樹枝状の谷津田低地からなり、その地形は比較的平坦である。河川には中央部の鹿島かしま川・高崎たかさき川、西部の手繰たぐり川があり、その支流も発達している。河川はいずれも印旛沼に流入する。市域中央部にJR佐倉駅があり、同駅で総武本線と成田線が分岐する。京成電鉄は市域北部を東西に通り、志津しづユーカリおか臼井うすい・佐倉・大佐倉おおさくら各駅がある。地域間交通機関としてユーカリが丘団地内に近年新交通システムのユーカリが丘線「ボナ」も開業した。道路は北部を東西に国道二九六号が通る。南部には国道五一号と東関東自動車道が通り、佐倉インターチェンジがある。ほかに四街道―上志津線・千葉―臼井―印西いんざい線・佐倉停車場―千代田ちよだ線・佐倉―印西線・千葉―八街―横芝よこしば線・神門ごうど―八街線・成東なるとう―酒々井線・岩富いわとみ山田台やまだだい線などが通り、市道・都市計画道路も整備されている。市域は江戸時代後期にすべて印旛郡に属した。

〔原始・古代〕

考古遺跡は印旛沼付近や鹿島川・高崎川・手繰川沿いに分布するほか、台地上に旧石器時代から平安時代の遺跡が広く分布する。おもな遺跡に縄文時代早期後葉の上座じようざ貝塚や複合遺跡の飯合作いごうさく遺跡などがある。長熊ながくま廃寺は基壇を伴う建物は一堂のみと考えられ、八世紀代とされる瓦・土器などを出土した。古代の東海道(通称香取道)に置かれた鳥取ととり駅が市域内に比定されるが、具体的な位置は明確ではない。「和名抄」所載の印旛郡一一郷のうち長隈ながくま郷は長熊が遺称地とされ、ほか印旛・鳥矢とや曰理わたり余戸あまるべ各郷が当市にかかわるとされるが不詳。

〔中世〕

市域に関係する庄園に印東いんとう庄・白井しらい庄・臼井庄がある。印東庄は印旛沼の南東部を占めたとされ、市域にかかわる庄内の地名として六崎むつさき篠塚しのづかなどが知られる。白井庄は延暦寺領で、八街市西部から当市域南部にかかり、同庄の中心をなした弥富やとみ塩古しおこ、加納地の勝田かつたなどの地名がみえる。臼井庄は臼井を遺称地とするが、庄域は当市のほか八千代市などにも及んだ。中世城館跡は多数分布するが、なかでも臼井城跡が著名である。同城は千葉孝胤との関係が深く、孝胤が古河公方足利成氏と上杉氏との和睦に反対したため、扇谷上杉氏の家宰太田道灌と武蔵千葉氏の自胤によって文明一一年(一四七九)に攻撃された。古河公方足利高基と弟の小弓公方義明が対立すると、臼井庄の開発領主である臼井氏は義明方に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐倉市」の意味・わかりやすい解説

佐倉〔市〕
さくら

千葉県北部,印旛沼南岸の低地および下総台地を占める市。 1954年市制。中心市街地の佐倉は慶長 15 (1610) 年土井氏の築城により開け,成田街道に沿う宿場町としても繁栄。延享3 (1746) 年以後堀田氏の城下町で,蘭学の奨励や日本最初の近代医学による順天堂病院の開設など進歩的な藩政で知られた。佐倉城址は公園となり,国立歴史民俗博物館が設置されている。印旛沼周辺の低地は水田地帯で,米作のほか,ラッカセイ,ナガイモ,施設野菜,メロン,花卉栽培も盛ん。京葉工業地域の後背地として住宅地の造成,工業団地の進出も目立つ。 JR総武本線と成田線の分岐点で,国道 51号線,296号線,京成電鉄,東関東自動車道が通る。印旛沼南岸一帯は印旛手賀県立自然公園に属する。面積 103.69km2。人口 16万8743(2020)。

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