佐多 稲子(読み)サタ イネコ

20世紀日本人名事典 「佐多 稲子」の解説

佐多 稲子
サタ イネコ

昭和・平成期の作家



生年
明治37(1904)年6月1日(戸籍:明治37年9月25日)

没年
平成10(1998)年10月12日

出生地
長崎県長崎市八百屋町

本名
佐田 イネ(サタ イネ)

別名
筆名=窪川 いね子,窪川 稲子

学歴〔年〕
牛込小中退

主な受賞名〔年〕
女流文学賞〔昭和37年〕「女の宿」,野間文芸賞〔昭和47年〕「樹影」,川端康成文学賞〔昭和50年〕「時に佇つ」,毎日芸術賞〔昭和58年〕「夏の栞―中野重治をおくる」,朝日賞〔昭和59年〕,読売文学賞(第37回 随筆・紀行賞)〔昭和60年〕「月の宴」

経歴
小学入学時に母親を亡くし、大正4年一家で上京。小学5年からキャラメル工場やメリヤス工場などで働いた。のち最初の結婚に破れ、本郷のカフェに勤めるうち、そこに集う同人雑誌「驢馬」の中野重治、窪川鶴次郎らと知り合う。昭和4年窪川と結婚。夫の影響を受け、プロレタリア文学運動に入り、3年窪川いね子の名で処女作「キャラメル工場から」を「プロレタリア芸術」に発表。6〜7年東京モスリン工場争議に取材した女工もの5部作でプロレタリア文学を代表する女流作家として活躍。6年日本プロレタリア文化連盟(コップ)に加盟、「働く婦人」の編集委員となる。7年には共産党入党。11〜13年初長編「くれなゐ」を発表。革命運動と家庭生活の間で悩み、20年離婚。同年秋より筆名・佐多稲子を使用する。戦後、新日本文学会、婦人民主クラブに所属。21年共産党に再入党するが、26年除名され、30年にひとたび復党、39年再び除名された。自らの体験をもとに様々な問題作を書き、50年「時に佇つ」で川端康成文学賞、58年「夏の栞―中野重治をおくる」で毎日芸術賞受賞。ほかの代表作に「素足の娘」「私の東京地図」「みどりの並木道」「歯車」「女の宿」「渓流」「樹影」、随筆集「月の宴」などがあるほか、「佐多稲子作品集」(全15巻 筑摩書房)「佐多稲子全集」(全18巻 講談社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「佐多 稲子」の解説

佐多 稲子 (さた いねこ)

生年月日:1904年9月25日
昭和時代;平成時代の小説家
1998年没

佐多 稲子 (さた いねこ)

生年月日:1904年6月1日
昭和時代;平成時代の作家
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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