佐渡島(読み)さどがしま

精選版 日本国語大辞典 「佐渡島」の意味・読み・例文・類語

さど‐が‐しま【佐渡島】

新潟県に属する日本海にある島。遠流(おんる)の地、金山で古くから知られ、史跡が多く、景勝や郷土芸能に富む。米作が主。佐渡。
浮世草子男色大鑑(1687)五「本国佐渡(サド)が嶋(シマ)へ帰り」

さどしま【佐渡島】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「佐渡島」の意味・読み・例文・類語

さど‐が‐しま【佐渡島】

新潟県に属する、日本海最大の島。尖閣せんかく湾・外海府そとかいふ海岸など観光地が多い。順徳天皇日蓮世阿弥などの流刑地。慶長6年(1601)相川金山が開発された。民謡「佐渡おけさ」の地。面積約857平方キロメートル。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐渡島」の意味・わかりやすい解説

佐渡島
さどがしま

新潟県の日本海上に浮かぶ日本最大の島。越後(えちご)(新潟県本土)から佐渡海峡を隔てて35キロメートル、周囲264.2キロメートル、面積854.30平方キロメートル、1島1市で全島域が佐渡市である。新潟港の新万代島(ばんだいじま)ターミナルから佐渡汽船の定期航路があり、両津(りょうつ)港までジェットフォイル(高速水中翼船)で1時間、3000トン級のフェリーボートで2時間20分で達する。そのほか直江津(なおえつ)港―小木(おぎ)港にもジェットフォイルが通じている。島内の人口は明治初期以来12万人前後で自然調整されるのが特色であったが、第二次世界大戦後から急激な過疎化現象が目だち、2020年(令和2)現在は5万1492人に減っている。

[山崎久雄]

地形

島の地形は、本県の第三紀丘陵列の最前線をなす北の大佐渡山地と、南の小佐渡山地小佐渡丘陵)に挟まれた陥没地溝帯の国中平野(くになかへいや)からなり、ゆがんだH字型をなしている。山体は秩父中・古生層を抜いた石英粗面岩質安山岩類からなり、壮年期侵食を受けて島と思えない雄大な山容を呈している。最高峰は大佐渡山地の金北(きんぽく)山(1172メートル)で、山麓(さんろく)は洪積世(更新世)の小地盤運動を受け、標式的な海食段丘を形成している。北東の湾入を両津湾、南西の湾入を真野湾(まのわん)とよんで、地溝帯の国中平野は国府川が潤す。島の景勝地はこの海岸段丘群の海食による海岸景が主体で、その大部分は佐渡弥彦米山(やひこよねやま)国定公園地区に指定されている。両津湾岸の加茂湖(かもこ)は砂州によってふさがれた海跡湖である。冬季の北西季節風の発達で雪は両津湾岸に多いが、南西端の小木半島ではツバキや竹林、ビワの育つ暖地性気候をなす。相川(あいかわ)の年平均気温は13.9℃、年降水量は1506ミリメートル(1981~2010)。

[山崎久雄]

歴史

佐渡に人が住み着くようになったのは、小佐渡山地南西の小木半島からだといわれているが、遺跡もそれを証明するように、小佐渡山地南西の洪積台地や国中平野の台地べりに多い。弥生(やよい)時代には山麓扇状地面に進出して米作りも始められたらしく、国府川べりの金井(かない)には千種住居遺跡(ちぐさじゅうきょいせき)も残る。島は古くから大八洲(おおやしま)の一つに数えられ、大化改新後の702年(大宝2)には「佐渡国」として独立し、721年(養老5)には雑太(さわた)・賀茂(かも)・羽茂(はもち)の3郡に分かれて22郷(ごう)からなり、真野湾岸に国府、国分寺も置かれていた。また、724年(神亀1)には遠流(おんる)の島に定められ、承久(じょうきゅう)の乱(1221)の順徳(じゅんとく)上皇をはじめとして、1271年(文永8)の日蓮(にちれん)、1298年(永仁6)の京極為兼(きょうごくためかね)、1434年(永享6)の観世元清(かんぜもときよ)(世阿弥(ぜあみ))など著名人が流され、その遺跡は佐渡観光史跡の中心をなしている。しかし、佐渡が全国的に有名になったのは、近世初期の1601年(慶長6)に佐渡金山が開発され、江戸幕府の金蔵(かなぐら)と称せられて直轄領となり、相川に佐渡奉行(ぶぎょう)が置かれて「黄金の島」として栄えてからであった。明治維新後に佐渡県、廃藩置県後は相川県となったが、1876年(明治9)新潟県に合併され、佐渡は1島1郡(佐渡郡)となる。2004年(平成16)、両津市、相川町、佐和田(さわた)町、金井町、新穂(にいぼ)村、畑野(はたの)町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村の10市町村が合併し佐渡市となった。この佐渡市の誕生により、佐渡島は全域が佐渡市となり、佐渡郡はなくなった。

[山崎久雄]

産業

古くから佐渡を代表する産業は相川の金山で、その全盛期の元和(げんな)~寛永(かんえい)年間(1615~1644)には「昼千貫(がん)、夜千貫」と形容された金銀の産出があった。当時相川鉱山町の人口はいまの全島の人口を超える10万余を数えたといい、島の住民はなんらかの形で鉱山に関連して生きてきた。しかし、鉱山町の盛衰は激しく、金山遺跡は佐渡観光の名所にかわっている。島本来の主産物は国中平野を中心とする稲作と沿岸漁業で、年間4万トンを産する佐渡米はその半分が移出され、島民の主産業になっている。また、長い海岸線と好漁場に恵まれて、沿岸漁業は県下の三大漁場の一つで、年間漁獲量は8137トンと県漁獲量の46%(2019)を占めているが、純漁村は少ない。おもな水産物はイカ類、ブリ、スケトウダラを中心に、加茂湖のカキ養殖、真野湾のマダイ・雑魚(ざこ)の養殖、両津湾岸のワカメ養殖など、栽培漁業にかわりつつある。小佐渡海岸の佐渡みそ、おけさ柿(がき)、竹細工品や相川の無名異(むみょうい)焼などの特産も多い。

[山崎久雄]

観光・文化

佐渡は「おけさの島」の名のもとに、年間80万人の観光客を集めている観光の島である。島の観光は中世以来の古い流人文化史跡と、近世の鉱山遺跡に、島特有の段丘地形による海岸景勝地の組合せからなっている。流人文化遺跡は小佐渡山地麓や国中平野に多く、両津港の佐渡汽船ターミナルから小佐渡回り、本線回りの定期バスの便があり、真野の順徳上皇の真野御陵、真野宮、妙宣(みょうせん)寺、新穂(にいぼ)の根本(こんぽん)寺、佐和田の妙照(みょうしょう)寺などの日蓮遺跡が中心をなす。鉱山遺跡は相川が中心で、本線経由の直通バスがある。海岸景勝地巡りは大佐渡山地の外海府(そとかいふ)海岸(国指定名勝)、小木海岸(国指定天然記念物・名勝)が中心で、バスターミナルから定期観光バスが出ている。島の展望台は金井地区の北新保(しんぼ)から相川に通ずる大佐渡スカイラインと、ドンデン山大佐渡ロッジにあって全島の眺めがすばらしく、定期観光バスの便もある。毎年4月に行われる「佐渡島祭」には、鬼太鼓(おんでいこ)、春駒(はるこま)、佐渡おけさ、相川音頭、両津甚句(じんく)などの郷土芸能が披露され、相川、小木、両津などでは常設の芸能館でも観覧できる。また、文化施設には、本間(ほんま)家能舞台、佐和田の佐渡博物館、相川郷土博物館、小木の佐渡国小木民俗博物館などがある。なお、日本では新穂にだけ生息していた国際保護鳥トキは、1981年(昭和56)すべて捕獲され、トキ保護センター(現、佐渡トキ保護センター)で飼育されてきた。しかし、2003年(平成15)10月に日本産トキの最後の1羽が死亡し、日本のトキは絶滅した。なお、同センターでは人工繁殖も試みられており、中国産つがいによるヒナが1999年5月に誕生、国内初の成功例となった。

[山崎久雄]

『佐渡教育研究会編『概観佐渡』(1964・金井町同書刊行委員会)』『九学会連合編『佐渡 自然・文化・社会』(1963・平凡社)』『佐渡地理研究会編『佐渡誌 島の風土とくらし』(1976・佐渡刊行会)』『本間国敬著『佐渡郷土辞典』(1950・芸苑社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「佐渡島」の意味・わかりやすい解説

佐渡島 (さどがしま)

〈さどしま〉とも読む。新潟県の日本海上にある日本第2の島。周囲227km,面積857km2。行政上は両津市ほか佐渡郡の7町2村からなっていたが,2004年合併により全島が佐渡市となった。人口6万2727(2010)。島の面積は県全体の約7%を占めるが,人口は4%弱にすぎず,全体として過疎化が進んでいる。島の地形は,北東から南西に走る北部の大佐渡山地と南部の小佐渡丘陵(山地),および中央部の国中平野からなる。北東から両津湾,南西から真野湾が湾入し,両津湾岸に海跡湖の加茂湖がある。地質は島の北端と南海岸の一部に古生層が露出するほかは大部分が新第三紀の緑色凝灰岩,レキ岩などからなる。大佐渡山地は島最高峰の金北(きんぽく)山(1172m)など壮年期の山々が連なって雄大な山容を示すが,小佐渡丘陵は標高600m内外で,ゆるやかな山容を示す。両山地にはさまれた国中平野は国府川による沖積地と周辺の台地などからなる。島全体に第四紀の隆起が著しく,大佐渡,小佐渡の海岸には,ほとんど全域に数段の典型的な海岸段丘が発達する。

 722年(養老6)穂積老が配流され,724年(神亀1)流罪遠近の制のもとに遠流(おんる)の地に定められた。以来,承久の乱の順徳上皇をはじめ,日蓮,京極為兼,日野資朝,世阿弥など多くの人々が流されて,島の生活・文化にさまざまな影響を及ぼした。国中平野南縁に佐渡国分寺跡(史),国府跡があり,これらに隣接して順徳上皇火葬塚(真野御陵),上皇をまつる真野宮,黒木御所跡,日蓮配流の遺跡である根本寺(塚原三昧堂,旧新穂(にいぼ)村)や,世阿弥の配流の地とされる正法寺(旧金井町)などがあって佐渡史跡観光の中核をなしている。西三川(旧真野町)の砂金,鶴子(つるし)(旧佐和田町),新穂の銀山時代を経て,17世紀初めころには相川で金銀が採掘されるようになった(佐渡金山)。金山は幕府の直営で,近世最大の金銀山となり,幕府の財源を支えた。金山の最盛期は16世紀末から17世紀初めの慶長,元和,寛永の30年間で,相川の人口が10万を数えた。露天掘りの鉱坑跡である道遊(どうゆう)の割戸(わりと),狸掘りの跡,南沢疎水道,奉行所跡などに当時のおもかげがしのばれる。

 現在,佐渡の主産業は農業と水産業である。国中平野と海岸段丘上の水田では年間4万tの佐渡米を産し,本土へも移出される。国中平野の米作の歴史が古いことは弥生時代の千種(ちぐさ)遺跡の水田遺構や,条里水田の存在から知られる。また近世初頭,金山の開発に伴って米の需要が増え,用水路や溜池が築造されて以後,海岸段丘での米作が盛んになった。第2次大戦後,圃場整理が行われて条里水田は消失したが,新穂川,小倉川,竹田川などにダムが建設され,干ばつや古い水利慣行は改善された。国中平野南西部,真野湾岸の砂丘地では野菜,タバコなどが栽培される。島全体が対馬暖流の影響をうけるため対岸の越後平野と比べて積雪が少なく,とくに小佐渡海岸は温暖で暖帯林がみられる。また小佐渡南西部では柿栽培が盛んで,おけさ柿として出荷される。大佐渡山地の林間では古くから肉用の佐渡牛の飼育が行われている。長い海岸線と両津,真野の良港湾に恵まれて沿岸沖合漁業が盛んで,スケトウダラ,カレイなどが漁獲される。また半塩湖の加茂湖ではカキの養殖が行われる。

 佐渡観光の中心は海岸地形のスケールの大きさにある。大佐渡山地の海岸は海府海岸として名勝に指定され,日本海側は外海府海岸,両津湾側は内海府海岸(外海府・内海府海岸)と呼ばれる。外海府の中では高さ約20mの断崖が続く尖閣湾,平根崎の波食甌穴(おうけつ)群(天)と海中温泉,北東部の二ッ亀,大野亀付近の小島,暗礁,巨岩が続く岩石海岸など見どころが多い。小木から沢崎までは南仙峡と呼ばれ,1802年(享和2)の小木地震で隆起した波食棚や,西端の沢崎付近には枕状溶岩がみられる。小木海岸(名・天)は外海府海岸,相川海岸とともに海中公園の指定地で,大佐渡山地,加茂湖とともに佐渡弥彦国定公園に含まれている。島の表玄関は両津港,裏玄関は小木港で,両津~新潟間は高速水中翼船(ジェットフォイル)で1時間,航空機では20分で達する。島内はバス交通が発達し,両津,小木のほか,大佐渡スカイラインの起点にある相川が交通の中心をなしている。豊かな自然と流人文化史跡,鉱山遺跡に恵まれた風土の中に《佐渡おけさ》,能,人形芝居などの郷土芸能や無名異(むみようい)焼などの民芸が開花し,近年は海水浴場も開発されて多くの観光客を集めている。なお小佐渡の旧新穂村清水平の保護センターで,国際保護鳥,特別天然記念物のトキが飼育されている。
佐渡国
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐渡島」の意味・わかりやすい解説

佐渡島
さどしま

新潟県西部,本土から最短距離で約 35km離れた日本海にある島。面積 855.31km2,周囲 227km。地形的に大佐渡山地(壮年期)と小佐渡丘陵(老年期),その間に国府川とその支流によってできた沖積地の国中平野の三つに分かれる。気候は温暖で降水量は比較的少ない。古くから開発され,先史時代の遺跡がみられる。8世紀初頭に佐渡国となる。中世には順徳天皇日蓮世阿弥など遠流の島として知られた。また近世初期,金山が開発され,江戸幕府の直轄領として繁栄した。おもな産業は国中平野を中心とする米作で,ほかに海藻採取,イカ漁,カキの養殖(→加茂湖)などの漁業,味噌の醸造業,竹工芸などがある。1950年佐渡弥彦米山国定公園に指定されてから,観光開発が進められ,観光業が重要になった。2004年3月島内全 10市町村が合併し,佐渡市となった。両津地区と相川地区が観光の中心地。新潟-両津間,小木直江津間などの定期航路で本土と結ばれているが,島内の交通はすべてバスに頼っている。

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百科事典マイペディア 「佐渡島」の意味・わかりやすい解説

佐渡島【さどがしま】

新潟県の西方約30kmの日本海上にある島。面積854.76km2。新潟県佐渡市からなる。かつての佐渡国で,現在の真野に国府と国分寺があった。中世以降の流刑地,佐渡金山の所在地として有名。北の大佐渡山地と南の小佐渡丘陵はともに地塁山地で,海岸段丘が発達,大佐渡北西部の海食崖は海府海岸の景勝地。中央の地溝帯は国中平野で北部に加茂湖がある。平野は米作が盛んで一部島外に移出,両津港を中心に水産業も活発。佐渡弥彦米山国定公園に含まれ,相川は観光の中心地。新潟市から両津へ航路および航空路がある。
→関連項目越後国直江津新潟[県]両津[市]

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「佐渡島」の解説

佐渡島

正式社名「株式会社佐渡島」。英文社名「Sadoshima Corporation」。卸売業。明治9年(1876)「佐渡島伊兵衛商店」創業。昭和12年(1937)「株式会社佐渡島英禄商店」設立。同46年(1971)現在の社名に変更。本社は大阪市中央区島之内。淀川製鋼所系の鉄鋼・非鉄金属・建材商社。淀川製鋼所の鉄鋼商品・建材商品を販売。屋根材など自社オリジナル商品の製造・販売も手がける。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐渡島の言及

【佐渡島】より

…〈さどしま〉とも読む。新潟県の日本海上にある日本第2の島。周囲227km,面積857km2。行政上は両津市ほか佐渡郡の7町2村からなり,人口7万4949(1995)。島の面積は県全体の約7%を占めるが,人口は4%弱にすぎず,全体として過疎化が進んでいる。両津市および相川,佐和田の両町に官庁の出先機関が集中している。島の地形は,北東から南西に走る北部の大佐渡山地と南部の小佐渡丘陵(山地),および中央部の国中平野からなる。…

【境】より

…堺とも書く。あらゆる事物や空間を区切るさまざまな仕切り(境界)。歴史上,境は原始社会から現代に至るまで,小は家と家の境,耕地と耕地の境などから,大は国郡などの行政区分上の境や国境まで普遍的に存在する。 日本の古代では,山や川などの天然・自然の境界物が基本的な境とされていた。《出雲国風土記》に登場する国堺・郡堺の記載50例(重複を含む)をみると,山が15例,水源1例,川が10例であり,さらに埼3例,浜1例,江1例を加えれば,国郡の堺の7割が自然の境界だった。…

※「佐渡島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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