佐藤藤蔵(読み)さとう・とうぞう

朝日日本歴史人物事典 「佐藤藤蔵」の解説

佐藤藤蔵

没年:寛政9.9.22(1797.11.10)
生年享保3(1718)
江戸中期,砂防植林の功労者。出羽国酒田町(山形県酒田市)の町人。重好,のちに藤太夫と称した。父は藤左衛門重光。酒田西浜砂地の飛砂は凄まじく,農村部への被害は甚大であった。庄内藩郡代服部外右衛門は,その荒廃対策の急を痛感し,砂防林の必要性を説いた。この求めに応じて延享2(1745)年,藤蔵は父と共に植林事業に着手,同4年には藤崎村(飽海郡遊佐町)を開いた。宝暦1(1751)年酒田町大火で家屋を失い,同5年一家で藤崎村に移住,以後も植林事業に尽力した。近隣二十数カ村の協力を得て,植林のみならず新田畑の開発にも成功した。<参考文献>『酒田市史』上

(渡辺英夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤藤蔵」の解説

佐藤藤蔵 さとう-とうぞう

1718-1797 江戸時代中期-後期の植林家。
享保(きょうほう)3年生まれ。佐藤藤左衛門の子。延享3年より父とともに庄内砂丘の出羽(でわ)藤崎(山形県遊佐(ゆざ)町)に数十年かけて砂防林を育成。以後,子孫がその業をひきついだ。寛政9年9月22日死去。80歳。名は重好。通称は別に藤太夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android