佐賀関(読み)さがのせき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐賀関」の意味・わかりやすい解説

佐賀関
さがのせき

大分県東部、北海部郡(きたあまべぐん)にあった旧町名(佐賀関町(まち))。現在は大分市の東端部を占める地域。旧佐賀関町は1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)神崎(こうざき)、一尺屋(いっしゃくや)の2村と合併。2005年(平成17)大分郡野津原(のつはる)町とともに大分市に編入。なお、これに伴い北海部郡は消滅した。「佐賀関」の名称は、古代佐加(さか)郷の地で、「戍(じゅ)」と称する、いわば関が置かれたことに由来する。旧町域は、佐賀関半島高島などの島嶼(とうしょ)からなり、半島基部をJR日豊(にっぽう)本線、海岸を国道197号と217号が走り、豊予海峡(ほうよかいきょう)の対岸愛媛県伊方(いかた)町三崎(みさき)にフェリーボートが通じる。近世肥後(ひご)領で、岬端(こうたん)に近い小入り江の関(せき)地区は風待ち、潮待ち港として繁栄した。関に1916年(大正5)煙害防止と鉱石運搬に便利なため久原(くはら)鉱業の銅製錬所が立地、1929年(昭和4)日本鉱業佐賀関製錬所(現、パンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所)となった。南岸の一尺屋は温暖性からミカン栽培、関は岬端性からタイブリアジサバフグなどの一本釣り漁業が盛ん。速吸(はやすい)瀬戸でとれる、「関さば」、「関あじ」は全国的によく知られている。神崎の築山古墳(つきやまこふん)は国指定史跡。早吸日女神社(はやすいひめじんじゃ)は式内社。一帯日豊海岸国定公園域。また、高島は瀬戸内海国立公園に含まれる。

[兼子俊一]

『『佐賀関町史』(1970・佐賀関町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐賀関」の意味・わかりやすい解説

佐賀関
さがのせき

大分県中東部,大分市東部の旧町域。佐賀関半島の先端部を占める。 1889年町制。 1955年神崎村,一尺屋村の2村と合体。 2005年大分市に編入。速吸瀬戸を挟んで四国の佐田岬半島の伊方町と相対し,フェリーで結ばれる。中心集落の関は大正初期の銅製錬所設立後,急速に発展。銅のほか金,銀,ニッケルなどを製錬。煙害防止のため標高 132mの丘陵上に建てられた高さ 166mと 200mの2本の大煙突がそびえる。佐賀関港は原料輸入港兼フェリー発着港。付近は漁場に恵まれ,古くから漁業が盛んで,アジ,サバ,タイ,ブリなどが高級魚として大都市圏へ出荷される。国の史跡の築山古墳があり,地蔵崎沖合いのウミネコ生息地高島と東部海岸は日豊海岸国定公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「佐賀関」の意味・わかりやすい解説

佐賀関 (さがのせき)

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デジタル大辞泉プラス 「佐賀関」の解説

佐賀関

大分県大分市にある道の駅。国道197号に沿う。

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