余計者(読み)よけいもの(英語表記)lishnii chelovek[ロシア]

精選版 日本国語大辞典 「余計者」の意味・読み・例文・類語

よけい‐もの【余計者】

〘名〙
① 余計な人。いて邪魔な者。いない方がよいような者。厄介者
真景累ケ淵(1869頃)〈三遊亭円朝〉六三「旦那様がゐなければ此家にゐても余計者だから私も江戸へ帰るといふ」
ロシア文学で、一八二〇~五〇年代に特徴的に現われる文学形象。高い理想を持ちながら現実に適応できず、対社会的に積極的な存在価値をもたない、無気力でペシミスティックな人間像オネーギンプーシキン「エフゲニー=オネーギン」)・ルージンツルゲーネフ「ルージン」)など。日本では「浮雲」の内海文三、「それから」の長井代助など。
※『細雪』をめぐりて(1950)〈中村真一郎〉「フランスロシヤの小説に屡々登場する、余計者が全く姿を見せない」

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デジタル大辞泉 「余計者」の意味・読み・例文・類語

よけい‐もの【余計者】

いて困る人。いないほうがいいような者。厄介者やっかいもの

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改訂新版 世界大百科事典 「余計者」の意味・わかりやすい解説

余計者 (よけいもの)
lishnii chelovek[ロシア]

19世紀ロシア文学に現れた貴族知識人の一典型。lishnie lyudiともいう。滔々(とうとう)と流入する西欧の知識の吸収に急で,消化不良を起こして観念的となり,農奴制ロシアの後進性が愚かしく,政府や自分の属する貴族社会に批判的・冷笑的な態度をとるが,さりとて民衆を知らないために現実から遊離し,活動の地盤をもたない根無し草のような存在である。そのおもな特徴は,政治生活と貴族階級からの疎外,自分の知的・道徳的優越の意識,それと並んで精神の倦怠,深い懐疑主義,言葉と行動の不一致,そして当然のことながら社会的受動性ということになろう。

 この名称が一般化したのは,ツルゲーネフの《余計者の日記》(1850)からであるが,この形成は20年代にさかのぼる。最初の明確な形象化はプーシキンのオネーギン(《エフゲーニー・オネーギン》1823-31)で,次いでレールモントフペチョーリン(《現代の英雄》1840)が現れる。彼はオネーギンと違って強い男で,才知が鋭く,感情が深く,意志が強く,行動力はあるが,そのはけ口を冒険に求め,自分の生命も他人の生命ももてあそぶ破滅型である。さらにゲルツェンベリトフ(《誰の罪か》1840),ネクラーソフのアガーリン(《サーシャ》1856)がつづく。ベリトフは恋愛の自由を唱えながら,社会の因襲という壁のまえに身を退き,まわりの者みんなを不幸にしてしまう余計者の典型である。次いでツルゲーネフの主人公たち,チュルカトゥリン(《余計者の日記》),ルージン(《ルージン》1856),ラブレツキー(《貴族の巣》1859)などが現れる。ルージンの高邁(こうまい)な理想を説く霊感あふれる雄弁は実際の行動と同じ力をもち,社会を目ざめさせたとツルゲーネフは認めている。以後,余計者は形を変え複雑化して,チェーホフの主人公たちまで生きつづける。なお,西欧文学のコンスタンのアドルフ(《アドルフ》1816),ミュッセのオクターブ(《世紀児の告白》1836)は,ロシアの余計者の血縁である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「余計者」の意味・わかりやすい解説

余計者
よけいもの
лишний человек/lishniy chelovek

19世紀ロシア文学が生んだもっとも典型的人間像。西欧的教養と進歩的思想をもち、活動意欲もありながら、農奴制度に支えられた専制政治下ではそれを生かす道をみいだせず、支配層からも民衆からも孤立し、しだいに生活に倦怠(けんたい)し、幻滅のうちに自他に不満なまま、強い自意識に苦しみながら生きる知識人たちをいう。この用語はツルゲーネフの『余計者の日記』(1850)による。題名のみでなく、文中にも「おれは余計者だ」という嘆きが出てくる。主人公チュルカトゥーリンは社会的落後者で、死を前にして生涯を回想し、自らを余計者と定義づける。このタイプを時代の生んだ典型ととらえる文学者は、ほかにオガリョフ(『余計者の告白』1858~59)、ドブロリューボフ(『オブローモフ主義とは何か』1859)、ゲルツェン(『余計者と不平家』1860)、ピーサレフ(『バザーロフ』1862)らがいる。余計者の最初の出現はニコライ1世(在位1825~55)治下であり、デカブリスト事件後、政治的弾圧が強化されたため、志を得ず、むなしく生きる知識人が増え、一つのタイプとなった。このタイプは一様ではない。汚辱に満ちた上流階級を面罵(めんば)するが、かえって狂人扱いにされるチャーツキー(グリボエードフ『知恵の悲しみ』1824)、誇り高く冷たい孤立者オネーギン(プーシキン『エウゲーニイ・オネーギン』1825~33)、反抗的、情熱的エゴイスト、ペチョーリン(レールモントフ『現代の英雄』1839~40)、高い教養と強い個の自覚をもちながら適所をみいだせぬベリトフ(ゲルツェン『誰(だれ)の罪か?』1841~46)、純な心をもちながら惰性的に怠惰な生活を送るオブローモフ(ゴンチャロフ『オブローモフ』1859)、活動の場所がなく弁舌のみに情熱を燃やすルージン(ツルゲーネフ『ルージン』1856)、低俗な貴族社会に幻滅して領地に引きこもるラブレツキー(ツルゲーネフ『貴族の巣』1859)、知識と意志と活動力をもち、革命志向を抱きながら、不慮の死を遂げるバザーロフ(ツルゲーネフ『父と子』1862)、周囲と妥協するすべも知る芸術家肌のライスキー(ゴンチャロフ『断崖(だんがい)』1869)など、さまざまである。チェーホフは戯曲『イワーノフ』(1889)を書くとき、「このタイプをしめくくる」といったが、イワーノフはすでに19世紀前半の余計者とはやや異なって社会的挫折(ざせつ)者に近い。

[佐藤清郎]

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世界大百科事典(旧版)内の余計者の言及

【オブローモフ】より

…彼は活動的なブルジョア,シュトルツの友情にも,進歩的な娘オリガの愛にもこたええず,献身的な寡婦アガーフィヤの下で静かに生を終える。ドブロリューボフが論文《オブローモフ気質とは何か》(1859)で,19世紀前半のロシア文学に登場した〈余計者〉の主人公たちとオブローモフの血縁性を指摘し,またこの作品の農奴制批判の意義を説いて以来,〈オブローモフ気質〉はロシア人にとって無為徒食の代名詞となったが,他方オブローモフはより広い意味で,ハムレットやドン・キホーテと同じく,全人類的タイプに属する点に小説の永遠の価値が存している。【沢田 和彦】。…

【何処へ】より

…恩師の期待にこたえることもなく無為に過ごす彼には,どこにも人生の意義を見いだせない虚無感が深く,現状からの脱出を願いながら,どこへ逃げ出せばいいのか方角がわからない。二葉亭四迷が《浮雲》に造型した内海文三やツルゲーネフの《ルージン》に比較される余計者的存在が描かれたわけである。封建的な家父長権制度の中で抑圧され,ゆがめられてゆく青年への共感が認められるが,解決への道は閉ざされている。…

【ルージン】より

…ツルゲーネフがその重要な文学的使命としたロシア知識人の精神史の第一作。ルージンは主人公の姓で,彼はドイツ・ロマン派哲学の高邁(こうまい)な思想に培われた1840年代の理想主義者で,余計者の典型。筋は簡単で,富裕な女地主の娘が彼の説く崇高な理想に開眼され,彼とともに新しい有意義な生活に突き進もうとするが,母親の反対を知ると,ルージンは狼狽(ろうばい)し,現実に対する無力を露呈して,また放浪の旅に出る。…

※「余計者」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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