八尾 新助(読み)ヤオ シンスケ

20世紀日本人名事典 「八尾 新助」の解説

八尾 新助
ヤオ シンスケ

明治・大正期の実業家,出版業者



生年
文久1年11月17日(1861年)

没年
大正15(1926)年1月14日

出生地
越前国福井(福井県)

学歴〔年〕
明治法律学校(現・明治大学)卒

経歴
先代新助の子に生まれる。初め福井藩儒・林氏の門に入り、更に藩黌・明新校に学ぶ。13歳で大阪に出て呉服商・村山重兵衛に雇われたが、のち辞して東京で3年間修学する。明治14年役人となり奥州諸地に巡覧の後、辞して新潟に留まる。のち東京の明法社に入り岸本辰雄指導の下に主幹として「明法雑誌」の編集に従事する傍ら、明治法律学校で学ぶ。その後、神田で出版社を開業し法律書・教育書の編集・出版を始める。日本教育新聞を買収してこれを経営、また神田に印刷工場を設立し、更に京橋の活版所汽関社を買収した。ついで官報の発行を一手に引き受け、28〜29年頃まで司法省の印刷物の発行や参謀本部機密文書の印刷に従事した。この功により、33年一商人として初の勲六等瑞宝章を授かる。のち日本生命保険協議員、有隣生命保険取締役となり、晩年には東洋石油社長を務めた。また書籍営業組合委員などの公職も務め公共事業にも貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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