八尾市(読み)ヤオシ

デジタル大辞泉 「八尾市」の意味・読み・例文・類語

やお‐し〔やを‐〕【八尾市】

八尾

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「八尾市」の解説

八尾市
やおし

面積:四一・二六平方キロ

大阪平野東部に位置。北は東大阪市、西は大阪市、南は松原市・藤井寺市・柏原かしわら市、東は奈良県生駒いこま郡。生駒郡との境は生駒山地の高安山(四八八メートル)で、山の西側は急崖をなしている。柏原市で大和川から取水して北流する長瀬ながせ川は、当市に入ってさらに玉串たまくし川を分流、そのほか平野川・楠根くすね川などの旧大和川分流が市域を流れる。また高安山麓には山からの谷川の水を集めて北流する恩智おんぢ川もある。こうした諸河川が河内低地に形成する三角洲地帯に立地し、標高は平地部でだいたい五メートルから一五メートル内外である。現在、市域の南端を西流する大和川は、宝永元年(一七〇四)の河道付替えによる流路で、それ以前は北流して当市域に入り、長瀬川・平野川・玉串川などに分流していた。これら諸流のうち大和川本流は長瀬川(久宝寺川ともいった)であったと考えられている。宝永元年の付替え後は、旧河床に新田が開発され、もとの河道は用水井路として残った。現市域は江戸時代の郡名でいえば、高安郡の全部と若江郡・渋川郡・志紀郡の一部、さらに丹北郡(古代の丹比郡の北部)・河内郡・大県おおがた郡も含んでいる。市名は当地域の中心であった八尾村・八尾町に由来。

〔原始〕

市域からは縄文・弥生時代から古墳時代にかけての集落・水田・墳墓の遺跡が多く発見されている。山賀やまが遺跡(縄文―古墳時代)亀井かめい遺跡(弥生―古墳時代)・恩智遺跡(縄文―弥生時代)などが代表的なものである。河内の低地部で古墳の存在が確認された最初の遺跡としては、亀井遺跡や木棺直葬の方形墳が発見された山賀遺跡などがある。また近年、大阪市営地下鉄谷町線の八尾南(若林町)への延長工事、近畿自動車道の建設工事に伴う発掘調査で、市域の西部から南部、つまり低地部での考古学上の発見が続き、新しい知見が増加した。この地域では現在地表面下一・五―二メートルの所に弥生時代から古墳時代にかけての集落跡、墳墓や古墳、それに大和川水系の大小の流路跡などがみつかっている。大和川水系の舟運に関係する遺跡として、久宝寺きゆうほうじ遺跡の南地区では複材式刳抜船底部とこれにつく上部構造の一部の船材が出土して、海上も航行できる準構造船として話題となった。このほか八尾南遺跡・佐堂さどう遺跡・美園みその遺跡などで次々と新しい発見がなされている。このような発掘調査から最近とくに注目されだしたのは、河内低地部に弥生時代の方形周溝墓から続いて、古墳時代の一辺一〇メートル前後の小型方形墳が多数存在することである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八尾市」の意味・わかりやすい解説

八尾〔市〕
やお

大阪府中央東部,生駒山地西斜面から旧大和川沖積平野を占める市。 1948年八尾町,竜華町の2町と大正村,西郡村久宝寺村の3村が合体して市制。開発は古く,弥生式遺跡や横穴古墳群,条里制の遺構などがみられる。中心市街地は八尾と久宝寺で,中世以降,八尾は大信寺の,久宝寺は西証寺 (のちの顕証寺) の寺内町として発達。 1889年大阪鉄道が通じてから工業・住宅地化が進み,大阪市の衛星都市となった。電機器具,紡績,アルミ金属,ゼラチン,プラスチックなどの製造が盛んで,歯ブラシの生産でも有名。近郊農業が行なわれ野菜,花卉のほか山麓ではブドウを栽培。南部には民間・自衛隊共用の八尾空港がある。大竹の心合寺山古墳 (しおんじやまこふん) は国の史跡。聖徳太子ゆかりの勝軍寺,常光寺,恩智神社などの古社寺も多い。東部の山岳地一帯は金剛生駒紀泉国定公園に属する。 JR関西本線 (大和路線) ,近畿日本鉄道大阪線,信貴線,大阪市営地下鉄谷町線が通る。面積 41.72km2。人口 26万4642(2020)。

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