六波羅蜜寺(読み)ロクハラミツジ

デジタル大辞泉 「六波羅蜜寺」の意味・読み・例文・類語

ろくはらみつ‐じ【六波羅蜜寺】

京都市東山区にある真言宗智山派の寺。山号は、普陀落山西国三十三所第17番札所。応和3年(963)空也十一面観音を祭り開創、西光寺と称した。第2世中信が六波羅蜜寺と改称。のち、真言宗になった。本堂は室町初期の再建で、平安・鎌倉時代の木像が多く残る。

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精選版 日本国語大辞典 「六波羅蜜寺」の意味・読み・例文・類語

ろくはらみつ‐じ【六波羅蜜寺】

京都市東山区轆轤(ろくろ)町にある真言宗智山派の寺。山号は普陀落山。院号は普門院。応和三年(九六三)空也の開創。初め西光寺と称したが弟子中信が現名に改め、天台別院とする。文祿四年(一五九五)現宗となる。空也上人立像や伝平清盛坐像など彫刻が多い。西国三十三所の第一七番札所。

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日本歴史地名大系 「六波羅蜜寺」の解説

六波羅蜜寺
ろくはらみつじ

[現在地名]東山区轆轤町

寺門と本堂は東面し、本堂北側に水掛不動・阿古屋あこや塚・阿古屋地蔵、南側に祥寿しようじゆ院・清盛塔・庫裏・表書院がある。山号普陀落山、真言宗智山派。本尊は十一面観音(立像)西国三十三所観音霊場の一七番札所。洛陽七観音の一。市の聖とよばれた空也建立の西光さいこう寺を起源とする。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔西光寺〕

空也は紺紙金泥大般若経六〇〇巻の書写を発願し、一〇余年の歳月を費やして応和三年(九六三)にその功を遂げ、同年八月二三日かも川河畔において供養を執り行った。「日本紀略」同日条に「空也聖人於鴨川原養金字般若経、道俗集会、請僧六百口、自内給所銭十貫文左大臣(実頼)以下天下諸人結縁者多、昼講経王、夜万灯会」とあり、この時の願文は三善道統が作成した(「為空也上人養金字大般若経願文」本朝文粋)。また「扶桑略記」同日条に「空也聖人鴨河東岸建堂、供養金字大般若経会、請僧六百人、有舞音楽」とあり、この鴨川東に建てられた堂が西光寺の始まりとされる。なお「空也誄」は「王城巽鴨川西、卜荒原、造宝塔」として西岸に建立したとするが、現在地と合わず一考を要する。空也は天禄三年(九七二)西光寺で没した(帝王編年記)

〔中興・改名〕

空也の没後僧中信が中興。「伊呂波字類抄」に「上人入滅之後、大法師中信来住此寺、専修衆善、兼行六度、故改本名、更号六波羅蜜寺也、為天台別院、偏演円宗教法、是以世有法華講、本以此処講肆」とあり、中信によって寺は六波羅蜜寺と改名され、天台宗となった。これを九条家本「六波羅蜜寺縁起」は貞元二年(九七七)とし、「大鏡」巻二は三蹟の一人藤原佐理にふれ、「六波羅蜜寺の額もこの大弐のかき給へるなり」と記す。

〔講ヲ行フ所〕

この時期の六波羅蜜寺は「本朝文粋」巻一〇によると、昼は「毎日講妙法一乗」とあるように法華講を催し、夜は「毎夜修念仏三昧」する道場で、「彼南北二京之名徳、逓為講師、逓為聴衆、東西両都之男女雲集」して賑わった。「今昔物語集」巻一三には、六波羅僧講仙が定読師となり法華経を説いた話を載せ、当寺は「京ノ諸ノ人、講ヲ行フ所也」と記す。このほか「栄花物語」巻一五に寛仁三年(一〇一九)頃「おりふしの迎講」が行われていたこと、「今昔物語集」巻一七に「月ノ廿四日ニ六波羅(ママ)ノ地蔵講」があったこと、「本朝文粋」巻一〇に「暮春三月、百花争開」の頃に「別修四日八講」し、これを「号結縁供花会」したことなどが記される。

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改訂新版 世界大百科事典 「六波羅蜜寺」の意味・わかりやすい解説

六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)

京都市東山区にある真言宗智山派の寺。普陀落山と号する。西国三十三所観音霊場の第17番札所。寺域は京都の葬送地鳥辺野の入口で〈六道(ろくどう)の辻〉と呼ばれた地点にあり,古来葬送と死者追善の寺として庶民の信仰を集めてきた。963年(応和3)空也の建立で,当初は西光寺と称し,十一面観音像と脇士の二王・四王像を造立安置したという。977年(貞元2)中信が堂舎を修造し,寺号を六波羅蜜寺と改めて天台別院とし,法華八講や念仏を修して貴賤の信仰を集め,迎講(むかえこう)や地蔵講を行い,以後京都の諸人が講を行う寺として親しまれた。平安末期からは地蔵信仰の流行につれ,鬘掛地蔵の名でいまも信仰されている当寺の地蔵尊の霊験が喧伝された。近年の本堂解体修理で,基壇から平安末~鎌倉初期の泥塔7400基(重要民俗資料指定)が発見され,当時の庶民信仰の姿を伝えている。平安後期から中世末までの間にたびたび炎上しながら,そのつど勧進の力で復興をとげたのも,当寺が庶民社会に根を下ろしていたからである。近世には寺領70石,智積(ちしやく)院末寺となり,寺域も広く,1363年(正平18・貞治2)建立の本堂(重要文化財)のほか,開山堂,地蔵堂不動堂,子院などがあった。年中行事として,若水で茶をわかし梅干しと結昆布を入れて参詣者に授ける元旦の皇服茶,節分会の六斎念仏と山伏の柴灯護摩,8月の8~10日に本堂内にともされる万灯会などが有名で,境内は多くの参詣者でにぎわう。空也が951年(天暦5)造像したと伝える本尊十一面観音像,口から6体の小さな阿弥陀仏を出す空也上人像(鎌倉時代)など重要文化財指定の仏像も多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「六波羅蜜寺」の意味・わかりやすい解説

六波羅蜜寺
ろくはらみつじ

京都市東山区轆轤(ろくろ)町にあり、真言(しんごん)宗智山(ちさん)派に属する寺。普陀落(ふだらく)山普門院と号する。本尊は十一面観音(かんのん)。西国三十三所第17番札所。951年(天暦5)悪疫流行のため、空也(くうや)が十一面観音像を刻み、洛中(らくちゅう)を引き巡って病気平癒を祈り、これを祀(まつ)って一宇を建立(963)し、西光(さいこう)寺と号したのに始まる。弟子の中信がさらに堂塔を建立していまの寺号に改め、天台別院とした。この地は、源平時代には平家の一族の邸宅が建ち並び、鎌倉時代には六波羅探題が置かれていた。このため幾度か兵火にあい、応仁(おうにん)の乱(1467~1477)にも焼失したが、豊臣(とよとみ)氏、徳川氏の帰依(きえ)によって復興した。現に本堂は室町初期の建造物で、本尊十一面観音立像(秘仏。12年ごとの辰(たつ)年に開扉)、脇侍(わきじ)の地蔵菩薩(ぼさつ)像、四天王像(以上、平安後期)、空也上人(くうやしょうにん)像(鎌倉時代)など(以上、国重要文化財)を安置している。このうち地蔵菩薩は「山送りの地蔵」「鬘掛(かずらかけ)の地蔵」として知られ、空也上人の立像は念仏を象徴した小さな阿弥陀(あみだ)仏像六体が口から出る形式のものとして有名である。そのほか、運慶・湛慶(たんけい)の自作と称する肖像彫刻や、平清盛(きよもり)の像と伝えられる僧形坐像(そうぎょうざぞう)、弘法大師(こうぼうだいし)坐像、吉祥天(きちじょうてん)立像、閻魔(えんま)王坐像(以上、国重要文化財)などがある。12月13~31日には空也踊躍(ゆうやく)念仏が行われる。

[勝又俊教]

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百科事典マイペディア 「六波羅蜜寺」の意味・わかりやすい解説

六波羅蜜寺【ろくはらみつじ】

京都市東山区にある真言宗智山派の寺。西国三十三所観音第17番札所。洛陽7観音の一つ。951年悪疫が流行した際,空也が自ら十一面観音を刻んで祈祷(きとう)したのに始まる。現在の本堂は1363年再建のもの。地蔵菩薩像,空也上人像など藤原,鎌倉時代の木彫仏像のすぐれたものが多い。
→関連項目大内荘康勝六波羅

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「六波羅蜜寺」の解説

六波羅蜜寺
ろくはらみつじ

京都市東山区にある真言宗智山派の寺。普陀落(ふだらく)山と号す。963年(応和3)空也建立の西光寺が起源とされる。その没後,2世中信は寺観を整え,寺号を六波羅蜜寺と改めて天台別院としたという。法華八講・迎講・地蔵講や念仏三昧を修める寺として京都の貴賤の信仰を集めた。何度か火災にあうが勧進により復興され,近世以降は智積院末寺となる。十一面観音立像は国宝,空也(くうや)上人立像は重文。

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デジタル大辞泉プラス 「六波羅蜜寺」の解説

六波羅蜜寺

京都府京都市東山区にある寺院。真言宗智山派。山号は普陀落(ふだらく)山、院号は普門院。10世紀半ば、空也による開創。古くは西光(さいこう)寺と称した。本尊の十一面観音像は国宝に指定。空也上人立像(重文)など、多数の文化財を保有。西国三十三所第17番札所。

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旺文社日本史事典 三訂版 「六波羅蜜寺」の解説

六波羅蜜寺
ろくはらみつじ

京都市東山区にある新義真言宗の寺
963年空也創建以来,中世においては天台別院として隆盛を極めたが,数度の兵火で衰えた。寺宝の木像『空也上人像』は有名。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六波羅蜜寺」の意味・わかりやすい解説

六波羅蜜寺
ろくはらみつじ

京都市東山区にある真言宗智山派の寺。空也の創設といわれる。天台宗に属していたが,のち真言宗となった。空也上人立像をはじめ重要な美術品が収められている。

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世界大百科事典(旧版)内の六波羅蜜寺の言及

【六波羅】より

…葬地である鳥辺野に近く,珍皇寺,西光寺などの寺院が建てられていた。空也が開いた西光寺は,その没後六波羅蜜寺と改称された。平安後期の1110年(天永1)平正盛は六波羅蜜寺内に阿弥陀堂を建立したが,このころから六波羅の地名が多く行われるようになった。…

※「六波羅蜜寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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