六諭(読み)りくゆ

精選版 日本国語大辞典 「六諭」の意味・読み・例文・類語

りく‐ゆ【六諭】

中国の明の太祖朱元璋洪武帝)がのこした六か条の教訓。洪武三一年(一三九八)に民衆教化の目的で宣布した告示文に見える「孝父母、尊長上、和郷里、教子孫、各安生理、毋非為」の六つで、明末ごろから郷約の中などで利用され、清に入ってこの名で呼ばれて広く頒行されたが、范鋐(はんこう)の「六諭衍義」が伝わるに及んで日本でも知られるようになった。

ろく‐ゆ【六諭】

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デジタル大辞泉 「六諭」の意味・読み・例文・類語

りく‐ゆ【六諭】

中国、太祖朱元璋)が1397年、民衆教化のために発布した教訓。「父母に孝順にせよ、長上を尊敬せよ、郷里に和睦せよ、子孫を教訓せよ、各々生理に安んぜよ、非為をなすなかれ」の六言

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「六諭」の意味・わかりやすい解説

六諭
りくゆ

1398年、中国、明(みん)の太祖朱元璋(しゅげんしょう)の民衆教化の勅撰(ちょくせん)書『教民榜文(ぼうぶん)』41条中、第19条のいわゆる「聖諭六言」をいう。すなわち「父母ニ孝順ニセヨ、長上ヲ尊敬セヨ、郷里ニ和睦(わぼく)セヨ、子孫ヲ教訓セヨ、各々生理ニ安ンゼヨ、非為ヲ作(な)ス毋(なか)レ」の六言で、これをのちに六諭と称した。この『教民榜文』はもともと里甲制にかかわる諸規定、教条であり、里甲制が弛緩(しかん)、解体に向かうにつれて空文化していったが、その過程でかえって六諭だけが嘉靖(かせい)年間(1522~66)以来、郷約と結び付いて、郷村における民衆教化の聖訓として広く宣布され、清(しん)代にも盛行をみるに至った。つまり、専制下における里甲制的秩序から地主制的秩序への移行に伴ってこれの盛行がみられるのである。范鋐(はんこう)が著した『六諭衍義(えんぎ)』はその解説書である。

溝口雄三

『酒井忠夫著『中国善書の研究』(1960・弘文堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六諭」の意味・わかりやすい解説

六諭
りくゆ
Liu-yu; Liu-yü

中国,明の太祖洪武帝の発布した6ヵ条から成る教育勅語。すなわち,「父母に孝順なれ,長上を尊敬せよ,郷里に和睦せよ,子孫を教訓せよ,おのおの生理に安んぜよ,非為をなすことなかれ」をいう。これを明末の范こうが解説したものが『六諭衍義 (えんぎ) 』で清代にも流布し,琉球を経て日本にも伝わり,明治の教育勅語にも影響を与えた。日本には室鳩巣の『六諭衍義大意』 (1722) がある。

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旺文社世界史事典 三訂版 「六諭」の解説

六諭
りくゆ

明の洪武帝が民衆教化のためにつくった教訓
父母への孝順,長上への尊敬,郷里との和睦,子孫への教訓,おのおのその分に安んずること,不正をしないことの6か条からなる。里ごとに木鐸 (ぼくたく) 1個を備えさせ,里老人に毎月6回これを唱えさせながら巡回させた。清でも康熙 (こうき) 帝はこれにならって聖諭をつくった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「六諭」の解説

六諭(りくゆ)

明の洪武帝が人民教化のため定めた6カ条の教訓。「父母に孝順なれ,長上を尊敬せよ,郷里に和睦せよ,子弟を教訓せよ,おのおの生理に安んぜよ,非為をなすなかれ」の6条。解説書に范鋐(はんこう)の『六諭衍義』(りくゆえんぎ)があり,日本にも伝えられて流布した。

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世界大百科事典(旧版)内の六諭の言及

【六諭衍義】より

…中国,明の太祖が1397年(洪武30)発布した6項目の聖諭,すなわち六諭に対する解説書。明末ごろの人,会稽(浙江省紹興市)の范鋐(はんこう)(字は声皇あるいは縉雲)が著した。…

※「六諭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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