日本大百科全書(ニッポニカ) 「兵範記(へいはんき)」の意味・わかりやすい解説
兵範記(へいはんき)
へいはんき
「ひょうはんき」とも読む。兵部卿(ひょうぶきょう)平信範(のぶのり)(1112―?)の日記。官と名からそれぞれ一字をとって後人が書名とした。別名『人車記(じんしゃき)』は、信・範の扁(へん)をとった書名。現在、21歳から60歳までのうち20年分が伝わり、自筆の清書本25巻もある。保元(ほうげん)の乱前後の記事は、『保元物語』を検討する好資料となっている。朝廷の公文書の作成過程について種々日記している点も貴重である。信範は摂関家近衛(このえ)家の家司(けいし)としても活躍した。彼の家柄は桓武(かんむ)平氏であるが、日記の家とよばれる流で、祖親信(ちかのぶ)をはじめ、父知信(とものぶ)、兄時信(ときのぶ)ら一族の日記も残っていて「平記(へいき)」と総称されるが、分量も『兵範記』に比べてはるかに少ない。『史料大成』所収。
[益田 宗]