兼松房治郎(読み)かねまつ・ふさじろう

朝日日本歴史人物事典 「兼松房治郎」の解説

兼松房治郎

没年:大正2.2.6(1913)
生年:弘化2.5.21(1845.6.25)
明治期の実業家。兼松商店主で豪州貿易の先駆者。大坂生まれ。幕末に各開港場での取引経験を有し,明治6(1873)年三井組銀行部に入り,大阪商人の民間資金運用を通して台頭。大阪の米商会所や商法会議所の設立に関係し,大阪商船の設立発起人となる。『大阪日報』を買収し,21年『大阪毎日新聞』と改め,今日の『毎日新聞』の基礎を造る。さらに当時の米の輸出先が米豪であった点から,豪州に関心を持ち,毛糸紡績勃興にあわせて羊毛原料の直輸入に乗り出し,22年には豪州貿易兼松房治郎商店を開業した。個人商店の性格を希薄にさせた従業員持株制度は同店の特徴。また公益寄与を体現したのが東京商大(一橋大)の兼松記念講堂などである。<参考文献>兼松社史編纂室編『KG―100』

(籠谷直人)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「兼松房治郎」の意味・わかりやすい解説

兼松房治郎
かねまつふさじろう
(1845―1913)

実業家。貿易商社兼松(現、兼松株式会社)の創業者で、オーストラリア貿易の開拓者。大坂の広間家に生まれる。商家奉公ののち江戸に出て武家に勤め、兼松家に入る。1873年(明治6)三井組に入り、81年退職。翌年大阪商船の創立に参加して取締役となるが、86年辞職。その後大阪毎日新聞の経営に携わり、またオーストラリアとの直貿易を企図して87年に渡豪。89年神戸に濠州(ごうしゅう)貿易兼松房治郎商店(1898年兼松商店と商号登記)を開業、翌年シドニー支店を開設した。日豪羊毛通商史に名を残し、中国貿易にも進出した。神戸築港運動や羊毛、肥料輸入関税撤廃運動に奔走した。

[前田和利]

『兼松株式会社編・刊『兼松回顧六十年』(1950)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「兼松房治郎」の解説

兼松房治郎 かねまつ-ふさじろう

1845-1913 明治時代の実業家。
弘化(こうか)2年5月21日生まれ。兼松家の養子となる。三井組につとめ,明治17年広瀬宰平らと大阪商船を創立。20年「大阪日報」を買収,翌年「大阪毎日新聞」と改題して発行。22年神戸に豪州貿易兼松房治郎商店(現兼松)を創設,羊毛の輸入,陶器の輸出などをおこなった。大正2年2月6日死去。69歳。大坂出身。本姓は広間。

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