内村 鑑三(読み)ウチムラ カンゾウ

20世紀日本人名事典 「内村 鑑三」の解説

内村 鑑三
ウチムラ カンゾウ

明治・大正期のキリスト教思想家



生年
万延2年2月13日(1861年)

没年
昭和5(1930)年3月28日

出生地
江戸・小石川鳶坂上

出身地
群馬県高崎市

学歴〔年〕
札幌農学校〔明治14年〕卒,アーモスト大学(米国)〔明治20年〕卒,ハートフォード神学校(米国)〔明治21年〕中退

経歴
高崎藩(群馬県)藩士の子として江戸の藩邸で生まれる。有馬英学校、東京外国語学校(現・東京外国語大学)英語科を経て、明治10年札幌農学校に第2期生として入学。同期生に新渡戸稲造、宮部金吾らが居り、W.S.クラークの感化を受けてキリスト教に入信、翌11年受洗。14年開拓使御用掛となり勧業課漁猟科、16年農商務省農務局水産課に勤務。17年米国に渡り、アーモスト大学、ハートフォード神学校に留学。21年帰国、新潟県北越学館仮教頭、22年水産伝習所教師を経て、23年第一高等中学校(一高)講師となったが、24年教育勅語に対する敬礼を拒否して不敬事件を起し免職となる。26年井上哲次郎との間に“教育と宗教衝突論争が起きる。この頃より著作活動に入り「基督信徒の慰め」「求安録」、自伝「余は如何にして基督信徒となりし乎」(英文)などを著わす。30〜31年朝報社「万朝報」記者。31年「東京独立雑誌」、33年「聖書之研究」、34年「無教会」を創刊。32年女子独立学校校長に就任。34年朝報社客員記者として足尾鉱毒事件を世に訴える。日露戦争では幸徳秋水、堺利彦らと非戦平和論を主張し、退社。以後自宅で聖書研究会を開き、伝道・聖書の研究生活に入る。聖書のみの信仰に基づく無教会主義を唱え、塚本虎二、矢内原忠雄、南原繁らの門下生を育て、志賀直哉小山内薫、有島武郎らの文学者、知識人に強い影響力を与えた。「内村鑑三全集」(全40巻 昭55〜59年)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「内村 鑑三」の解説

内村 鑑三 (うちむら かんぞう)

生年月日:1861年2月13日
明治時代;大正時代のキリスト教伝道者;思想家
1930年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android