内藤広前(読み)ないとう・ひろさき

朝日日本歴史人物事典 「内藤広前」の解説

内藤広前

没年:慶応2.9.19(1866.10.27)
生年:寛政3(1791)
江戸後期の国学者。幕府の御先手同心。名は広庭,のち広前,通称浜次郎。号は賢木園。国史,律令に通じ,江戸の和学講談所出役となる。歴史や古典和歌の編著を多くものしたが,文化年間に尾張(名古屋)藩主の命を受けて校訂した『大内裏図考証』は,もっともよく知られている。かつて京都の公家裏松光世が蟄居中に著した考証を補正したものである。また紀州新宮城主水野忠央のもとで編纂された『丹鶴叢書』には,黒川真頼ら幕末期の江戸を代表する国学者と共に寄与した。<著作>『大内裏図考証正誤』11巻(『故実叢書』2輯)

(ロバート・キャンベル)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤広前」の解説

内藤広前 ないとう-ひろさき

1791-1866 江戸時代後期の武士,国学者。
寛政3年生まれ。幕臣。大番組与力(先手(さきて)同心とも)をつとめた。律令や国史にくわしく,のち幕府の和学講談所出役となる。文化年間,名古屋藩主の命により裏松光世の「大内裏図考証」を校訂した。慶応2年9月19日死去。76歳。江戸出身。初名は広庭。通称は浜次郎。号は賢木園(さかきぞの)。著作に「国史拾遺」「尊卑分脈考証」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の内藤広前の言及

【黒川春村】より

…清水浜臣,岸本由豆流,伴信友らと交友し,考証学を得意とした。浜臣,信友没後は内藤広前(ひろさき)(1791‐1866)と共に江都の博識をもって称せられたが,性篤実で隠逸を愛した。《淡海名寄》《歌道手引草》《音韻考証》《節用集考》《碩鼠漫筆》などその編著は膨大な数にのぼっている。…

※「内藤広前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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