円成寺(読み)えんじょうじ

精選版 日本国語大辞典 「円成寺」の意味・読み・例文・類語

えんじょう‐じ ヱンジャウ‥【円成寺】

奈良市忍辱山(にんにくせん)町にある真言宗御室派の寺。山号は忍辱山。万寿三年(一〇二六)命禅の創建。忍辱施寺と称した。応仁の乱後、京都鹿ケ谷にあった円成寺を移して再興。鎌倉時代に造られた春日堂、白山堂は国宝。

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デジタル大辞泉 「円成寺」の意味・読み・例文・類語

えんじょう‐じ〔ヱンジヤウ‐〕【円成寺】

奈良市忍辱山にんにくせん町にある真言宗御室おむろ派の寺。山号は忍辱山。天平勝宝8年(756)、聖武孝謙両天皇の勅願により建立。開創は唐の僧虚滝ころう。中興は実範。初め忍辱施寺と称したが、応仁の乱後京都鹿ヶ谷の円成寺を移して再興。鎮守春日堂・白山堂は国宝。

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日本歴史地名大系 「円成寺」の解説

円成寺
えんじようじ

[現在地名]奈良市忍辱山町

忍辱山にんにくせん集落の西部にある。忍辱山と号し、真言宗御室派、本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば天平勝宝八年(七五六)聖武天皇の勅願により、鑑真の弟子虚滝の開創と伝えるが、境内には奈良時代遺物や遺跡はなく、奈良時代からの寺院とは考えがたい。「本朝高僧伝」の命禅伝には、万寿三年(一〇二六)命禅が春日神造るところの十一面観音を祀る堂を建てたとある。寛遍伝には「忍辱山従万寿初命禅開山、垂一百四十年」ともあり、開基は命禅とみられる。仁平三年(一一五三)寛遍が当地に来山し、真言宗の一派忍辱山流の密法を起こした。「大乗院寺社雑事記」文正元年(一四六六)閏二月一〇日条に「夜前忍辱山本堂塔以下悉皆炎上、於本尊者奉取出了」とある。同書や寺蔵文書によれば、その後すぐに再建工事に着手し、応仁元年(一四六七)三月一二日には本堂入仏、のち楼門も完成した。鎌倉前期の様式をもつ鎮守祠の春日・白山両堂は、火災を免れたとみられる。「興福寺官務牒疏」には「僧宇二十八坊交衆三十口」とある。

円成寺
えんじようじ

[現在地名]津島市中一色町 西訳

昭和七年(一九三二)の火災で庫裏・僧堂・寮舎などは焼失したが、本堂・曼陀羅堂・経蔵・山門など多くの建物が残っている。興山と号し、浄土宗。本尊は丈六阿弥陀如来坐像。

「尾張名所図会」に「当寺はもと栖台山西方寺とて浄土鎮西派の甲刹なり。開基の年紀詳ならずといへども、応安・永和等の古碑あれば其古き事しられたり。

円成寺
えんじようじ

[現在地名]榛原町細江

田沼たぬま街道北方の山麓、さんにある。日照山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。文明一〇年(一四七八)季雲永嶽が石雲せきうん院開山の崇芝性岱を請じ勧請開山として開創したという。今川氏輝・義元を開基とする。永禄三年(一五六〇)氏輝・義元の両菩提を弔うため六石余の寺領を寄進されたという(榛原郡誌)。天保三年(一八三二)の円成寺領高帳(円成寺蔵)では寺領六石余は朱印地で、青池あおいけ村に三石余、四之宮しのみや村に三石あった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「円成寺」の意味・わかりやすい解説

円成寺
えんじょうじ

奈良市忍辱山(にんにくせん)町にある真言宗御室(おむろ)派の寺。山号は忍辱山。756年(天平勝宝8)聖武(しょうむ)、孝謙(こうけん)両天皇の勅願により、唐僧の虚瀧(ころう)が開創。1026年(万寿3)命禅(みょうぜん)が再興して十一面観音を祀(まつ)り、中世、山科(やましな)(京都)鹿ヶ谷(ししがだに)にあった円成寺の名称を継いだといわれる。1112年(天永3)迎接(こうしょう)が阿弥陀(あみだ)堂を建てて阿弥陀如来(にょらい)を安置し、保延(ほうえん)年間(1135~41)に実範(じっぱん)が中興した。1156年(保元1)に京都仁和寺(にんなじ)の寛遍(かんぺん)が東密(真言密教)の一派忍辱山流を創始して寺勢は盛んとなった。1466年(文正1)応仁(おうにん)の乱で主要な伽藍(がらん)を焼失したが、ほどなく栄弘(えいこう)が再建。江戸時代には寺中(じちゅう)23寺、寺領235石を有する大寺となったが、明治維新後は衰え、現在の境内と建物を残すのみとなった。1961年(昭和36)伽藍の解体修理、76年に庭園の復原改修が行われて寺観を一新した。国宝に鎮守春日(かすが)堂、白山(はくさん)堂ならびに棟札。国の重要文化財に本堂(阿弥陀堂)、楼門、宇賀神(うがじん)堂、五輪塔、本尊厨子(ずし)、阿弥陀如来坐像(ざぞう)、大日如来坐像(運慶作)、四天王立像などがあるほか、県指定の文化財も多い。復原された庭園は平安時代庭園として貴重な遺構である。

[野村全宏]

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改訂新版 世界大百科事典 「円成寺」の意味・わかりやすい解説

円成寺 (えんじょうじ)

奈良市にある真言宗の寺。忍辱山(にんにくせん)と号す。もと京都にあり,藤原基経の妹淑子が夫藤原氏宗冥福のため889年(寛平1),東山鹿ヶ谷に建立。宇多天皇の師僧益信を別当とし,同年定額寺となる。忍辱山は1026年(万寿3),命禅が柳生の地に創建,実範の中興。火災により一時衰えたが,応仁の乱のころ円成寺を京から移し,合わせて1511年(永正8)再興。春日造最古の遺構で国宝の春日堂・白山堂はじめ国宝,重文が多い。
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百科事典マイペディア 「円成寺」の意味・わかりやすい解説

円成寺【えんじょうじ】

奈良市忍辱山(にんにくせん)町にある真言宗御室派の寺。本尊阿弥陀如来。聖武天皇の勅願により虚滝和尚が開基したと伝える。鎮守として本堂の東に並ぶ春日堂・白山堂(いずれも国宝)は鎌倉初期の造立で春日造最古の遺構。
→関連項目運慶大和青垣国定公園

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「円成寺」の意味・わかりやすい解説

円成寺
えんじょうじ

奈良市にある真言宗御室派の寺。奈良時代の創立と伝えられるが,寺観が整備されたのは平安時代末期で,現存の建物はほとんど室町時代の建立。鎮守の春日堂,白山堂は鎌倉時代初期の建造で春日造最古の遺構であり,国宝。もと多宝塔の本尊であった『大日如来坐像』 (国宝) は運慶の作。

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デジタル大辞泉プラス 「円成寺」の解説

円成寺

奈良県奈良市にある寺院。真言宗御室(おむろ)派。山号は忍辱山。756年開創。多宝塔の大日如来坐像は運慶の作で国宝、本尊の阿弥陀如来像は重文。最古の春日造社殿である春日堂・白山堂(いずれも国宝)など、多数の文化財を有する。

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世界大百科事典(旧版)内の円成寺の言及

【愛智荘(依智荘)】より

…12世紀半ばすぎまで存続が確認できるが,鎌倉時代に入ると消滅したようである。(4)円成寺領。1117年(永久5)国司が公役を賦課した際の史料には,宇多天皇の施入で,官省符による免除をうけていたとしるされている。…

【益信】より

…益信は900年に僧正に補され,翌年には東寺で法皇に伝法灌頂を授けた。それより先,尚侍藤原淑子の病気平癒を祈って験あり,尚侍が建てた東山の円成(えんじよう)寺の別当に迎えられた。空海とその弟子たちが活動したあとを受けて,密教の興隆につくし,数々の密教の作法書などを著して,真言宗東密広沢流の開祖となった。…

※「円成寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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