日本大百科全書(ニッポニカ) 「凱旋門(建築)」の意味・わかりやすい解説
凱旋門(建築)
がいせんもん
triumphal arch
古代ローマ人によって創始された戦勝祝賀のための記念建造物。ローマ式の半円形アーチがあけられ、ギリシア式の円柱で装われ、頂上にブロンズの彫像が設置されるのが通例であった。アーチは1個もしくは3個で、円柱はコリント式オーダーが普通であるが、ほかの彫像を設置するための壁龕(へきがん)が設けられる場合もある。凱旋門は一般に街路をまたぐように建てられるから、頂上に立つ皇帝像はアーチを通り抜ける行列の人々から仰ぎ見られる仕組みになっている。このアーチを通過する凱旋行列の例はローマにあるティトゥス帝凱旋門の浮彫りにみることができる。かつてのローマ帝国の版図内に現在も残っている凱旋門の数は125に達するといわれるが、ローマ市内にも前記のほか、セプティミウス・セウェルス帝、コンスタンティヌス大帝を記念する凱旋門が現存する。
18、19世紀に入ると、凱旋門は、都市のいわば焦点として都市計画に組み入れられ、ナポレオンのロシア・オーストリア連合軍に対する勝利(1805)を記念するパリのカルーセルの凱旋門は、古代ローマの形式を忠実に踏襲してルーブル宮のカルーセル広場に建てられた。また、ラングハンスによるベルリンのブランデンブルク門は、古代ローマの凱旋門のもつ重厚さと、ギリシア神殿の列柱にみられる明快さを調和させた傑作である。フランス陸軍の栄光をたたえるため、シャルグランの設計によって建立されたエトアール凱旋門は、パリの名所としてよく知られ、現在は無名戦士の墓を兼ねている。
[濱谷勝也]