函館(市)(読み)はこだて

日本大百科全書(ニッポニカ) 「函館(市)」の意味・わかりやすい解説

函館(市)
はこだて

北海道南西部にある市。渡島(おしま)半島の南東部にあたる亀田(かめだ)半島に位置し、南は津軽海峡に臨み、西には函館湾をいだく。道南の政治、経済、文化の中心地であり、渡島総合振興局が置かれている。初めウスケシ(アイヌ語で湾の端の意)とよばれていたが、1454年(享徳3)ごろ小豪族河野政通(まさみち)が函館山山麓(さんろく)に築いた館(やかた)が箱の形にみえたところから箱館(はこだて)とよばれるようになったという。1922年(大正11)市制施行。1939年(昭和14)湯川(ゆのかわ)町、1966年銭亀沢(ぜにかめざわ)村、1973年亀田市を編入。2004年(平成16)渡島支庁(現、渡島総合振興局)管内の戸井町(といちょう)、恵山町(えさんちょう)、南茅部町(みなみかやべちょう)、椴法華(とどほっけ)を編入。2005年中核市となる。北海道の南の玄関口にあたり、函館港、函館空港があり、函館駅はJR函館本線の、五稜郭(ごりょうかく)駅は道南いさりび鉄道線の起点。国道5号、227号、228号、278号、279号が通じ、函館新道と函館江差(えさし)自動車道の函館インターチェンジがある。中心市街地には市電(路面電車)が通る。1988年(昭和63)青函(せいかん)トンネルが完成、青森と鉄道により直結した。青函連絡船は廃止されたが、複数のフェリーが函館港と青森港間、大間(おおま)港(青森県)間に就航。函館空港は東京、大阪、名古屋、札幌、奥尻、台北(タイペイ)などとの間に定期便が就航。中西部は袴腰岳(はかまごしだけ)、標津岳(しべつだけ)山麓の洪積台地で、南西部の津軽海峡に突き出た函館山との間の砂州上に中心市街地がある。砂州は亀田川などから排出された土砂が堆積(たいせき)し、また土地の隆起などで陸繋(りくけい)化したもの。陸繋部西側の函館港は水深の大きい天然の良港である。東部は山地や丘陵地が多く、東端の恵山岬には恵山(618メートル)がある。汐首(しおくび)岬、日浦(ひうら)海岸、武井(むい)の島など海岸一帯は恵山道立自然公園域。気候は海洋性で、対馬(つしま)海流の影響で道内では温暖であり、年平均気温は9.1℃(1981~2010)。

[瀬川秀良]

歴史

松前(まつまえ)藩領時代に亀田番所が置かれ、1802年(享和2)には幕府の箱館奉行(ぶぎょう)が設けられた。1854年(安政1)下田(しもだ)とともに日本最初の開港場となり、1859年には横浜、長崎などとともに貿易港に指定され、アメリカ、イギリス、ロシアの領事館が置かれた。1868年(明治1)箱館戦争が起きたが翌年榎本武揚(えのもとたけあき)らの降服で終わり、同年北海道開拓使出張所が置かれ、箱館は函館に改められた。1872年出張所は支庁となった。1908年(明治41)青函航路が開設され、大正時代に入ると北洋漁業の基地として発展が目覚ましく、海産物の輸出が盛んに行われた。1935年(昭和10)ごろまでの人口は道内一で札幌をしのいだ。この間、1878年、1879年、1907年、1921年、1934年の5回にわたって大火にみまわれ、とくに1934年には市の半分を焼失し、焼失家屋2万4000戸、死者2000人を数えた。太平洋戦争末期の1945年(昭和20)にはアメリカ軍の空襲を受け、400戸が焼失した。戦後の1952年には北洋漁業が再開されたが、現在漁獲制限など困難な問題を抱えている。

[瀬川秀良]

産業

屈曲に富む海岸には天然の良港が多く、漁業が主産業。第二次世界大戦前はイワシやマグロ漁が盛んであった。現在はイカ漁が中心で、コンブ、ワカメなどの海藻類、カレイホッケ、サケ、スケトウダラなどの水揚げもあり、水産加工業も盛んである。1980年代以降はコンブ養殖、アワビ中間育成、ウニ種苗生産、ヒラメなどの魚類放流事業など栽培漁業への転換も進めている。白口浜(しろくちはま)のマコンブは良質で知られ、またマグロ大謀網(だいぼうあみ)漁業発祥の地といわれる。農業は函館平野を中心に米作、ジャガイモダイコンニンジン、シイタケ栽培などが行われる。

 工業は、1897年に設置された函館船渠(せんきょ)(現、函館どつく)などがあり、造船業が盛んであったが、現在は不振。函館湾東岸は臨海工業地域で、水産加工、機械器具などの工場が立地する。製造品出荷額は食料品が全体の約半分を占め、ほかに飲料、飼料、たばこ製造、輸送用機器、一般機器、出版・印刷などがある。かつて函館市の商圏は全道に及んだが、現在では後退し渡島総合振興局管内を中心としている。市の中心商店街は函館駅前の若松地区、松風(まつかぜ)地区と、五稜郭駅前の亀田本町で、デパートや銀行、商店が軒を連ねる。なお、1984年函館テクノポリス開発計画が国に承認され、函館臨空工業団地、函館テクノパーク、テクノポリス函館上磯(かみいそ)工業団地などを造成、研究施設や先端技術産業の誘致を図った。

 また、観光資源や自然にも恵まれ、観光産業が盛んである。

[瀬川秀良]

文化・観光

中心市街地には西欧文化の影響を受けた歴史的建造物が多く残る。函館山山麓は山の手とよばれ、洋風建造物や外国人墓地などに開港当時の名残(なごり)をよくとどめている。ハリストス正教会は1860年(万延1)にロシア領事館付属聖堂として創建され、ビザンティン風の現在の建物(国の重要文化財)は1916年(大正5)に再建されたもの。旧函館区公会堂(1910年造、国の重要文化財)、旧ロシア領事館、旧イギリス領事館(開港記念館)、中華会館、カトリック元町教会、旧北海道庁函館支庁庁舎(函館市写真歴史館)などの洋風建築、真宗大谷派函館別院(国の重要文化財)、高龍寺(こうりゅうじ)などの社寺、太刀川家住宅店舗(たちかわけじゅうたくてんぽ)(1901年造、国の重要文化財)などの商店があり、旧金森洋物店は市立博物館郷土資料館に改造され、明治時代の生活用品などを展示する。ほかに函館市文学館(旧、第一銀行函館支店)、市立函館博物館、函館市北方民族資料館などがある。なお、函館港から山の手にかけての町並は「函館市元町末広町」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 1864年(元治1)建造の五稜郭(国の特別史跡)は日本最初の洋式城郭跡。榎本武揚らがこの城にこもって新政府軍と戦った。五稜郭と同じ洋式城郭の四稜郭(しりょうかく)は国の史跡に指定されている。函館八幡宮(はちまんぐう)に近い地に碧血碑(へきけつひ)があり箱館戦争の幕府軍の戦死者が埋葬される。南部の海岸沿いの丘陵地には、1500年ごろの小豪族の砦(とりで)であった志苔館跡(しのりだてあと)(国の史跡)がある。旧岩船氏庭園(香雪園)は国の名勝。そのほか、国指定重要文化財として、高野寺の木造大日如来(だいにちにょらい)坐像、旧遺愛女学校宣教師館、北海道志海苔中世遺構出土銭(しのりちゅうせいいこうしゅつどせん)(函館博物館蔵)があり、国の重要有形民俗文化財として、アイヌの生活用具コレクション(北方民族資料館蔵)がある。上湯川(かみゆのかわ)町のトラピスチヌ修道院は、1898年に創立されたシトー会に属する女子修道院である。

 函館山へはロープウェーが通じ、頂上からは函館市街や函館港を一望でき、とくに夜景で知られる。函館山東側の立待岬(たちまちみさき)には与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)夫妻の歌碑が立ち、大森浜の啄木(たくぼく)小公園には石川啄木の座像がある。函館空港と中心市街地の間に位置する湯の川温泉は、交通の便もよく函館観光の基地となっており、近くには函館競馬場がある。

 東部に広がる恵山道立自然公園域も観光客が多い。国民保養温泉地に指定されている恵山温泉郷や水無(みずなし)海浜温泉、川汲(かっくみ)、磯谷(いそや)、大船(おおふね)などの各温泉がある。恵山南西麓にある続縄文文化遺跡の恵山貝塚など、縄文時代の遺跡が多い。大船遺跡は国指定史跡、著保内野遺跡(チョボナイノいせき)出土の「中空土偶(ちゅうくうどぐう)」は国宝に指定されている。川汲公園はサクラの名所。台場山は箱館戦争の際に幕府軍が砲台を築いた場所である。面積677.87平方キロメートル、人口25万1084(2020)。

[瀬川秀良]

〔世界遺産の登録〕2021年(令和3)、大船遺跡はユネスコ(国連教育科学文化機関)により「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[編集部 2022年1月21日]

『『函館区史』復刻版(1973・名著出版)』『『函館市史 通説編』(1980・函館市)』『『函館市史 通説編』第2巻(1990・函館市)』


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