前田吉徳(読み)まえだ・よしのり

朝日日本歴史人物事典 「前田吉徳」の解説

前田吉徳

没年:延享2.6.12(1745.7.11)
生年元禄3.8.8(1690.9.10)
江戸時代の外様大名。加賀(金沢)藩第6代藩主。5代藩主前田綱紀の4男。母は側室預玄院(三田氏)。享保8(1723)年封を継いだ。その治政の重点は藩財政の逼迫により年貢確保に重点をおき,改作仕法の古格の励行など農政の引き締めに努めたが,百姓一揆など農民の抵抗も受けた。また倹約令を出す一方,家臣の借知を行ったが藩債の累積は続き,家臣の困窮や士風の退廃を招いた。また近侍の寵臣大槻朝元を重用し,寛保1(1741)年には国政の大半を親裁とし,大槻が仕切った。大槻は藩費の節減,大坂商人よりの借銀調達,新規課税などの財政再建策や家臣の家格改変を行った。このため譜代門閥重臣層の反発を買い,大槻弾劾の御家騒動(加賀騒動)にまで発展した。

(和泉清司)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前田吉徳」の解説

前田吉徳 まえだ-よしのり

1690-1745 江戸時代中期の大名
元禄(げんろく)3年8月8日生まれ。前田綱紀(つなのり)の4男。享保(きょうほう)8年加賀金沢藩主前田家6代となる。大槻(おおつき)伝蔵朝元(とももと)を重用して倹約政策をすすめたが,重臣らの反発をかい,のちの加賀騒動のもととなった。延享2年6月12日死去。56歳。初名は利興,のち吉治。通称は又左衛門

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「前田吉徳」の解説

前田吉徳 (まえだよしのり)

生年月日:1690年8月8日
江戸時代中期の大名
1745年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の前田吉徳の言及

【大槻伝蔵】より

…足軽大槻七左衛門の三男,叔父大槻長兵衛の婿養子となる。1716年(享保1)世子前田吉徳の御部屋付御居間坊主となり,終始近侍して寵愛を受けた。吉徳が6代藩主となって以後20年間に20回の加増・昇進という破格の出頭をして3800石,人持組となる。…

【加賀騒動】より

…一名大槻騒動。その内容は,6代藩主前田吉徳の寵臣大槻伝蔵が門閥・守旧派に弾劾されて失脚し,流刑地で自刃した事件,および江戸藩邸での茶釜毒入り事件に関連して吉徳の側室真如院(お貞の方)とその男子らが幽閉されて死んだ事件がからめられたもの。大槻伝蔵は足軽の子に生まれ,御居間方坊主から禄高3800石の人持組という上級家臣にまでなった出頭人で,終始吉徳に近侍して寵愛と信頼が深かった。…

※「前田吉徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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