剣舞(けんぶ)(読み)けんぶ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「剣舞(けんぶ)」の意味・わかりやすい解説

剣舞(けんぶ)
けんぶ

刀槍(とうそう)や扇を用いて詩吟にあわせて舞う舞踊。江戸時代末期に昌平黌(しょうへいこう)の学生が酔って詩を吟じ剣を抜いて舞い、勤王志士剣舞を行ったというが、いずれも即興的なものである。剣舞と興行との結び付きは、榊原鍵吉(さかきばらけんきち)が1873年(明治6)に始めた撃剣興行の余興として行ったのが最初である。84年4月には、鹿鳴館(ろくめいかん)に代表される当時の欧化風潮に対する反発から、神田の錦輝館(きんきかん)で詩吟と剣舞の会が開かれたが、出場者のなかには竹槍(たけやり)、蓆旗(むしろばた)を手にした剣士や、鉄扇を持ち陣羽織を着て草鞋(わらじ)を履いている吟士もあり、舞も刀剣以外は用いなかった。90年、日比野正吉(しょうきち)(雷風)と長宗我部林馬(ちょうそかべりんま)(加藤鶯鳴(おうめい)のち秦霊華(はたれいか))が剣舞を系統だて、前者は神刀(しんとう)流、後者は弥生(やよい)流を発表した。両者とも剣術家であったので剣舞も剣術や居合術の形を基本とし、服装も紋服に袴(はかま)、白鉢巻というもので、『鞭声(べんせい)(川中島)』『白虎隊(びゃっこたい)』『棄児行(きじこう)』などをよく演じた。その前後に宮入清政(至心(ししん)流)、金房(かなぶさ)冠一郎(金房流)、佐野星山(敷島流)が寄席(よせ)や芝居小屋などで演じていたが、薩閥(さつばつ)を背景とする日比野の神刀流と、伯父である日本演芸協会長土方久元(ひじかたひさもと)子爵庇護(ひご)を受けた長宗我部の弥生流の勢力が一頭地を抜いていた。日清(にっしん)・日露戦争中は戦意高揚の手段として剣舞が奨励され、神田の錦輝館や横浜の喜楽座で大会が開かれた。大阪の千日前では軒並み剣舞の興行をするという盛況ぶりで、出演者は顔におしろいを塗り、「日清談判破裂して」とか「そもそも熊谷直実(くまがいなおざね)は」といった流行唄(はやりうた)を、三味線や鉦(かね)、太鼓入りで演ずる改良剣舞や娘剣舞が多かった。これらは長続きせず、やがて神社の祭礼縁日の小屋掛け舞台や大道にまで落ちていった。第二次世界大戦後に一時衰えたが、1952年(昭和27)同好者が集まり日本剣舞道連盟を創立してから盛んになった。今日の剣舞は興行との直接の結び付きはほとんどない。

[大野正一]

『神桜館編『風雪七十七年』(1965・神桜館総本部)』『大野正一著『剣舞の歴史』(1976・私家版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android