世界大百科事典(旧版)内の副王(スペイン)の言及
【副王制】より
…しかし,連邦の絆となったのは共通の王権だけであって,政治的独立や法律あるいは行政制度はまったく従来のままに残された。このために国王が2国のうちのいずれかを不在にするという重大な政治問題が惹起され,解決策として出てきたのが副王virreyの任命だった。 副王の祖型はアルフォンソ2世が1178年,当時彼の版図に入っていた南仏プロバンス公国の統治を任せた王弟ラモン・ベレンゲールの例に見ることができる。…
【ラテン・アメリカ】より
…この点が,自営農民や商人が主体となって白人社会をつくり,先住民の存在を排除したアメリカ合衆国の場合とまったく事情が違っていた。スペイン王室は,副王(副王制)やその他の行政官を送ってアメリカの植民地を統制し,しばしば現地の征服者,植民者との間に軋轢(あつれき)を起こしたが,本国の絶対主義的体制は植民地における民主主義的体制の成立に強い牽制を加えた。これは,国王が総督を送って統治させながらも,本国における自由主義思想や議会制度の発展の強い影響のもとに植民地における自治組織や権利意識の発達がうながされたイギリス領アメリカの場合とまったく対蹠(たいしよ)的である。…
※「副王(スペイン)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」