加太 邦憲(読み)カブト クニノリ

20世紀日本人名事典 「加太 邦憲」の解説

加太 邦憲
カブト クニノリ

明治〜昭和期の司法官 大阪控訴院院長;貴院議員(勅選)。



生年
嘉永2年5月19日(1849年)

没年
昭和4(1929)年12月4日

出生地
伊勢国桑名城内(三重県桑名市)

別名
幼名=三次郎,通称=縫殿介,名=孝基,号=吉甫,白鷹

学歴〔年〕
大学南校中退,司法省明法寮〔明治9年〕卒

経歴
桑名藩士の子として生まれる。大塚桂に漢学師事、藩校・立教館に学ぶ。明治3年藩の貢進生として大学南校に入る。5年司法省明法寮(司法省法学校)第1期生に転じてボワソナードらにフランス法律学を学ぶ。9年卒業、司法省に出仕して母校の生徒幹事兼助教を命じられ、15年校長。18年東京大学法学科部長心得、19年翻訳課長、司法省書記官。同年フランス、ドイツ留学し、23年帰国。その後、大津地裁、京都地裁、東京地裁の各所長を経て、31年大阪控訴院院長に就任。38年退官。43年貴院議員に勅選された。自伝に「自歴譜」、訳書にピコウ「仏国民法釈要」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「加太 邦憲」の解説

加太 邦憲
カブト クニノリ


肩書
貴院議員(勅選),大阪控訴院院長

生年月日
嘉永2年5月(1849年)

出身地
三重県桑名市

学歴
大学南校卒 司法省明法寮〔明治9年〕卒

経歴
明治3年藩の貢進生として大学南校に入り、5年司法省明法寮生徒となって法律学を学び9年卒業。司法省に入り、法学校副長、法学校長兼文部権少書記官、東京大学法学科部長心得、判事など歴任。19年フランス、ドイツに留学、23年帰国。大津地裁、京都地裁、東京地裁の各所長を経て、大阪控訴院院長に就任。38年退官。43年貴院議員に勅選せられる。訳書にピコウ「仏国民法釈要」。

没年月日
昭和4年12月4日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

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