勧修寺(かじゅうじ)(読み)かじゅうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「勧修寺(かじゅうじ)」の意味・わかりやすい解説

勧修寺(かじゅうじ)
かじゅうじ

「かんしゅうじ」ともいう。京都市山科(やましな)区勧修寺(かんしゅうじ)仁王堂町にある真言宗山階(やましな)派大本山。亀甲山(きっこうざん)と号し、通称は山科門跡(もんぜき)とよばれる。醍醐(だいご)天皇の勅願寺で、承後律師の開基になる。当寺第15世寛胤(かんいん)法親王(後伏見(ごふしみ)天皇の皇子)が入寺してから、代々宮門跡寺院となり、明治維新で第32世済範(さいはん)法親王が還俗(げんぞく)して山階宮(やましなのみや)家をたてるまで続き、世に勧修寺門跡とも山階宮ともよばれていた。門跡寺院としての格式を誇るとともに、学問的にも名門の寺院で、905年(延喜5)定額寺(じょうがくじ)に列せられ、年分度者(ねんぶんどしゃ)を賜り、真言・三論兼修の道場でもあった。開基以来とくに真言密教の事相に秀でた人々が入住し、第7世寛信は小野流の一派勧修寺流をたてその本拠とした。

 現在の堂宇は江戸時代再建のものが多く、なかでも書院(国重要文化財)は江戸初期の書院造の典型で、襖絵(ふすまえ)は土佐派の画家によるものである。寺宝も蓮華蒔絵経筥(れんげまきえきょうばこ)(国重要文化財)、刺繍釈迦如来(ししゅうしゃかにょらい)説法図など秀作が多い。境内には氷池園(ひょうちえん)とよばれる池泉庭園があり、平安様式を残している。また、書院前庭には勧修寺型灯籠(とうろう)と樹齢750年というハイビャクシンが知られる。

[眞柴弘宗]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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