北島康介(読み)きたじまこうすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北島康介」の意味・わかりやすい解説

北島康介
きたじまこうすけ
(1982― )

水泳選手。9月22日、東京都荒川区に生まれる。5歳から水泳を始める。本郷高校から日本体育大学へ進学。2000年(平成12)の日本選手権100メートル平泳ぎ優勝。同2000年のオリンピックシドニー大会では4位、200メートルでは予選落ちした。2001年の日本選手権の男子50メートル平泳ぎの予選において28秒23の当時の日本新記録をマーク。決勝では28秒05とさらに記録を伸ばして優勝、また100メートル、200メートル平泳ぎでも優勝した。2002年の日本選手権でも、ふたたび50、100、200メートル平泳ぎの三冠を達成するなど、日本水泳界のエースとなった。

 2003年6月に特別認定選手の申請を行い、事実上の「プロ宣言」をした。同2003年7月の世界選手権バルセロナ大会の100メートル平泳ぎにおいて、59秒78の世界新記録(当時)で金メダルを獲得。さらに、200メートル平泳ぎでも2分9秒42の世界新記録(当時)で金メダル、400メートルメドレーリレーでも銅メダルを獲得した。翌2004年のオリンピック・アテネ大会では100メートル、200メートル平泳ぎともに金メダルを獲得、日本競泳選手では初の個人種目二冠を達成した。また、400メートルメドレーリレーでも銅メダルを獲得。さらに2008年オリンピック・北京(ペキン)大会でも、100メートル、200メートル平泳ぎで金メダルを獲得し2種目2連覇を果たし、400メートルメドレーリレーでも銅メダルを獲得した。とくに100メートル平泳ぎは58秒91の世界新記録(当時)であった。また、2012年オリンピック・ロンドン大会にも平泳ぎで出場し、100メートル5位、200メートル4位、400メートルメドレーリレーで2位の成績であった。

[大下勇次]

『長田渚左著『「北島康介」プロジェクト』(2004・文芸春秋)』『平井伯昌著『世界でただ一人の君へ――新人類 北島康介の育て方』(2004・幻冬舎)』

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知恵蔵 「北島康介」の解説

北島康介

1982年9月22日、東京都荒川区出身の競泳選手(平泳ぎ)。アテネ・オリンピック、北京オリンピック両大会における、100メートル平泳ぎ、200メートル平泳ぎ金メダリストで、2012年ロンドン・オリンピックの日本代表。日本コカ・コーラ所属(12年時点)。
5歳の時、東京SCで水泳を始めた。2000年、本郷高校3年生の時にシドニー・オリンピックに出場し、100メートル平泳ぎ4位入賞。日本体育大学体育学部体育学科に進学。卒業後、日本体育大学大学院に進学したが、選手活動に専念するために中退。01年から04年まで日本選手権において、4年連続で男子50メートル、100メートル、200メートルと、全ての平泳ぎで優勝。これは史上最高記録である。04年のアテネ・オリンピックと、08年の北京オリンピックの100メートル・200メートル平泳ぎで金メダルを獲得。オリンピック史上初の平泳ぎ2大会連続2種目制覇を果たす。この時、100メートルゴール直後に発した「チョー気持ちいい」という言葉は流行語となり、この年の新語・流行語大賞に選ばれた。2008年、SPEED社の新型水着「レーザーレーサー」を着用して好記録を出す例が増える中、当初、スポンサー契約が結んだミズノ製の水着を着用し続け「新型水着を着用したいという気持ちはあるが、ミズノがそれに負けない水着を開発してくれると思う」と述べていた。しかし、6月のジャパン・オープンの途中からレーザーレーサーを着用し世界記録を更新。ミズノ社の理解も得て、北京オリンピックでもレーザーレーサーを着用すると表明。北京では100メートル平泳ぎで、人類史上初59秒の壁を破る58秒91の世界新記録で金メダルを獲得し、「世界記録を出し、金メダルを獲得する」という試合前の言葉を実現させた。200メートル平泳ぎも2分07秒64と、オリンピック記録を更新するタイムでの金メダルだった。
日本オリンピック委員会の選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度の肖像権契約を結ばず、05年日本コカ・コーラと所属契約を結び、プロ選手として各大会に出場。現在南カリフォルニア大学を拠点にトレーニングを行っている。選手生活の傍ら、子どもたちに水泳の楽しさを教える活動も各地で行っている。また、実家が東京・西日暮里で精肉店「北島商店」を営んでおり、北島選手が大好きだというメンチカツが名物になっている。
12年、ロンドン・オリンピックで日本競泳史上初の4大会連続オリンピック出場を果たし、個人種目ではメダルを逃したものの、400メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得、自身の日本記録を上回る58秒64の好タイムで2位から首位にチームを押し上げ勝利に貢献した。

(菘(すずな)あつこ  フリーランス・ライター / 2012年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北島康介」の意味・わかりやすい解説

北島康介
きたじまこうすけ

[生]1982.9.22. 東京,荒川
競泳選手。5歳から東京スイミングセンターで水泳を始め,平泳ぎを専門に活躍。中学校2年生の秋から平井伯昌コーチに師事し,才能が一気に開花した。東京都豊島区にある本郷高等学校3年生だった 2000年,シドニー・オリンピック競技大会オリンピック競技大会に初出場,100mで 4位入賞。2002年大韓民国(韓国)の釜山で開催されたアジア競技大会では 200mを 2分9秒97の世界新記録で制した。2分10秒の壁を破ったのは史上初めてで,日本人選手が世界記録を更新したのも 30年ぶりのこと。2003年にプロ宣言し,同年スペインのバルセロナで行なわれた世界選手権大会では 100mを 59秒78,200mを 2分9秒42で泳ぎ,2種目とも世界新記録で優勝。2004年のアテネ・オリンピック競技大会でも 100m,200mの 2種目で金メダルに輝いた。一時期のスランプを経て 2008年北京オリンピック競技大会では 100mと 200mを再び制し,オリンピック競技大会の平泳ぎ 2種目連覇の偉業を達成した。その後,生活拠点をアメリカ合衆国のロサンゼルスに移し,1年間の休養を経て競技再開。3大会連続 2冠が期待された 2012年ロンドン・オリンピック競技大会は 100m 5位,200m 4位と表彰台を逃したが, 400mメドレーリレーで銀メダルを獲得した。大舞台になれば勝負強さを発揮し,オリンピック競技大会で獲得したメダルは金4,銀1,銅2の計 7個。水の抵抗が少ない水中動作は世界一美しいといわれる。2003,2004,2008年の 3度紫綬褒章を受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北島康介」の解説

北島康介 きたじま-こうすけ

1982- 平成時代の水泳選手。
昭和57年9月22日生まれ。種目は平泳ぎ。平成12年日本選手権の100mで優勝し,同年シドニー五輪同種目で4位入賞。14年釜山アジア大会の200mで優勝(2分9秒97の世界新記録)。15年バルセロナ世界選手権では100m59秒78,200m2分9秒42と両種目を世界新記録で優勝。16年アテネ五輪,20年北京五輪の100m・200mの両種目で2大会連続の金メダルを獲得した。北京五輪では100m決勝で58秒91の世界新を記録,4×100mメドレーリレー(宮下純一・北島康介・藤井拓郎佐藤久佳)で銅メダルも獲得。24年日本選手権で100m,200mで優勝。4度目のロンドン五輪は100mで5位,200mは4位とメダル獲得はならなかったが,4×100mメドレーリレー(入江陵介・北島康介・松田丈志・藤井拓郎)で銀メダルを獲得。日本コカ・コーラ所属。日本体育大卒。東京出身。

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百科事典マイペディア 「北島康介」の意味・わかりやすい解説

北島康介【きたじまこうすけ】

競泳選手。平泳ぎ。2000年日本選手権100m平泳ぎで優勝して頭角をあらわし,2000年のシドニーオリンピックで決勝に進出(4位)。平井伯昌コーチの指導のもとで次々と記録を更新し,2003年世界水泳バルセロナ大会では,100m,200mともに世界記録(当時)で優勝した。2008年北京オリンピックでは,100m決勝で史上初めて59秒の壁を破る58秒91の世界記録(当時)で金メダルを獲得,さらに200mでも優勝し,オリンピックで日本人初めて二大会連続の二冠を達成した。
→関連項目アテネオリンピック(2004年)

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