北島雪山(読み)キタジマセツザン

デジタル大辞泉 「北島雪山」の意味・読み・例文・類語

きたじま‐せつざん【北島雪山】

[1636~1697]江戸前期の書家肥後の人。名は三立さんりゅう長崎で中国人兪立徳ゆりつとく黄檗おうばく僧らに書法を学ぶ。唐様書道の祖とされる。細井広沢門人

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精選版 日本国語大辞典 「北島雪山」の意味・読み・例文・類語

きたじま‐せつざん【北島雪山】

江戸中期の書家。通称、三立。別号、花隠、蘭隠。肥後国熊本の人。長崎で、明の兪立徳から文徴明の書法を学び、また黄檗(おうばく)宗の禅僧即非や独立(どくりゅう)について修学。のち一家をなして名声を得、近世唐様の祖とされる。陽明学にも通じた。奇行に富む生活で知られる。寛永一三~元祿一〇年(一六三六‐九七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北島雪山」の意味・わかりやすい解説

北島雪山
きたじませつざん
(1637―1698)

江戸初期の書家。肥後熊本の人。医者北島宗宅(そうたく)の二男。通称は三立(さんりゅう)、雪山はその号。ほかに雪参(せつざん)、花谿子(かけいし)、蘭隠立(らんいんりゅう)、蘭山人などと号した。幼時、熊本妙永寺の図南堂日収(となんどうにっしゅう)より書を学んだという。のち長崎に赴き、黄檗(おうばく)宗の布教のため来朝していた独立性易(どくりゅうしょうえき)(1596―1672)、即非如一(そくひにょいち)(1616―71)について書法と陽明学を学んだ。一時細川家に仕えたが罷免され、1677年(延宝5)黄檗僧と同伴して江戸に赴き、青山海蔵寺に入り、のち室町浮世小路の寓居(ぐうきょ)に移った。雪山の書は元(げん)の趙子昂(ちょうごう)や明(みん)の文徴明(ぶんちょうめい)の筆法根幹としており、細井広沢(こうたく)らにその書法を伝え、江戸では天和(てんな)年間(1681~84)を中心に大いにもてはやされた。唐様(からよう)書道の祖として尊重されるが、その先駆として大きな役割を果たした。奇行に富んだ生涯で、生来の酒好きから多くの逸話が伝えられる。

[島谷弘幸]

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改訂新版 世界大百科事典 「北島雪山」の意味・わかりやすい解説

北島雪山 (きたじませつざん)
生没年:1637-98(寛永14-元禄11)

江戸前期の唐様書家。熊本の医師,宗宅の次男。通称は三立。医術修業の兄江庵とともに長崎に赴き,陽明学を修め,来朝の黄檗僧独立,即非に書法を学び,さらに兪立徳(ゆりつとく)から明の文徴明の筆法を授けられた。その後,熊本侯に儒臣として仕えたが,やがて江戸に出て書名をあげ,細井広沢らに書法を教えた。奇行多く,酒を好み,豪快な行・草をよく書き,唐様書家の先達として高く,評価されている。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北島雪山」の意味・わかりやすい解説

北島雪山
きたじませつざん

[生]寛永13(1636)/寛永14(1637).肥後,熊本
[没]元禄10(1697).11.12. /元禄11(1698).12.14. 長崎
江戸時代中期の書家,儒学者 (陽明学派) 。名は三立,号は雪山,花隠,蘭隠。医者の父に従って長崎へ行き,書法を明僧の兪立徳および黄檗僧即非,独立に学んだ。さらに元の趙孟 頫 (ちょうもうふ) ,明の文徴明の書風に私淑し,延宝5 (1677) 年江戸へ出て唐様の雄健な書風をもって名声を築いた。江戸時代における唐様書道の先駆者といわれ,門下より細井広沢が出た。また陽明学を修め文学にも長じ,性格は豪放で酒を好み奇行が多かった。主要作品『陶淵明詩巻』『草書唐詩五言屏風』。

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朝日日本歴史人物事典 「北島雪山」の解説

北島雪山

没年:元禄10.閏2.14(1697.4.5)
生年:寛永13(1636)
江戸前期の書家,儒学者。名は三立,雪山は号。別号に雪参,花隠,蘭隠,花谿子,蘭隠立などがある。熊本生まれだが,幼少時,長崎に行き,陽明学と書を学んだ。特に書は黄檗僧雪機,独立,即非,および明の愈立徳の影響を受け,文徴明,趙子昂らの書法を修得し,江戸時代の唐様書道の基礎を築きあげた。門人に細井広沢がいる。また,寛文7(1667)年には『国郡一統志』編纂にも従事した。一時,江戸に赴いたが,権勢を嫌い,また酒を好み奇行も多く,志を得ぬまま長崎に戻り,没した。没年には元禄11(1698)年説もある。

(永由徳夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北島雪山」の解説

北島雪山 きたじま-せつざん

1636-1697 江戸時代前期の書家。
寛永13年生まれ。肥後熊本藩の儒者をつとめたが,辞任して長崎に移住。兪立徳(ゆ-りっとく)や即非如一らとまじわり,文徴明,趙子昂(ちょう-すごう)の書風をまなぶ。江戸にでて名をあげたが,奇行がおおく,志をえられず長崎にかえった。近世唐様の祖といわれる。元禄(げんろく)10年閏(うるう)2月14日死去。62歳。名は三立。別号に花隠,蘭隠。

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世界大百科事典(旧版)内の北島雪山の言及

【書】より

…鎖国下にあって長崎は唯一の外来文物の門戸で,長崎を中心に新しい明代の書が取り入れられた。北島雪山は医を志して長崎におもむき,ここで明人兪立徳(ゆりつとく)から明代の文徴明の筆法を初めて授けられ,江戸時代の唐様の先駆として迫力ある大字作品を書いている。その門下細井広沢は江戸において唐様発展に力を尽くし,唐様の基本的な著述をも出した。…

※「北島雪山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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