北朝鮮の核実験(読み)きたちょうせんのかくじっけん

知恵蔵 「北朝鮮の核実験」の解説

北朝鮮の核実験

北朝鮮の朝鮮中央通信は2006年10月9日、「我々の科学研究部門で9日、地下核実験を安全に成功裏に行った」と伝えた。韓国大統領府は、同日午前10時35分(日本時間同)ごろ、北朝鮮北東部の咸鏡北道(ハムギョンブクト)周辺で地震波を感知した、と発表した。吉州郡(キルジュグン)豊渓里(プンゲリ)付近の地下核実験場とみられ、韓国地質資源研究院はマグニチュード(M)3.58ないし3.7、日本の気象庁はM4.9、米地質調査所はM4.2を観測したとした。「爆薬800トン相当の非常に低い威力で、核の連鎖反応が途中で止まった不完全爆発か」とか、「実験は失敗だった」といった見方も出たが、ネグロポンテ米国家情報長官は同月16日、「採取した大気から放射性物質を検出した。地下核実験の実施が確認された」と述べた。同年10月末から訪朝した米国のヘッカー元ロスアラモス国立研究所長は11月15日の記者会見で北朝鮮高官や核施設責任者との面談結果を明らかにした。それによると、北朝鮮側はプルトニウム型核爆弾の実験だったと認め、ヘッカー元所長は「初期型の単純な設計の核爆発装置を使い、規模をTNT火薬4キロトン相当にして意図的に小さくしようとしたが、1キロトン規模に終わった可能性が大きい」と分析し、「部分的な成功だったとみるのが妥当」との判断を示した。北朝鮮は実験直前に中国に対して4キロトン規模だと通知しており、ある程度の威力制御技術を持っていることもわかった。地下核実験は、1998年5月にインドとパキスタンが相次いで実施して以来である。北朝鮮は05年2月10日に外務省声明を発表し、そのなかで「自衛のために核兵器を製造した」と述べ、初めて核保有を宣言していた。また、核実験6日前の06年10月3日の外務省声明では、米国の「核戦争脅威と制裁圧力」などを強く非難し、「自衛的な戦争抑止力を強化する新たな措置を取る」として、「科学研究部門で今後、安全性が徹底的に保証された核実験を行うことになる」と事前に言明していた。国連安全保障理事会はこの「予告声明」に対して6日、「深刻な懸念」を表明し非難する安保理議長声明を全会一致で採択した。北朝鮮が9日に核実験を強行すると、安保理は北朝鮮に対する制裁論議に入った。日本が議長国を務め、強制措置を認める国連憲章第7章(平和に対する脅威・平和の破壊および侵略行為に関する行動)のうち、41条(非軍事的措置)にとどめるか、42条(軍事的措置)の可能性にも言及するかなどで調整が続いた。中ロに配慮して、「憲章7章下の行動」であることと、それも経済制裁など非軍事的措置を規定した41条に基づく措置だと併記する妥協ができ、14日に制裁決議が全会一致で採択された。安保理で北朝鮮に対する制裁が決議されたのは初めてだ。北朝鮮の大量破壊兵器計画に関連する物資や技術、資金の流れを止めることと、北朝鮮最高指導部を狙った「ぜいたく品の禁輸」なども盛り込まれた。ただ、07年10月現在、安保理内の制裁委員会に制裁の実施問題で報告してきた国連加盟国は計192カ国のうち72カ国、そこには「制裁実施には至っていない」とする報告も含まれており、国際社会が一致して北朝鮮制裁に参加しているわけではない。日本政府は既に、北朝鮮が弾道ミサイル発射実験をした06年7月5日、独自の制裁措置9項目を決めた。北朝鮮の貨客船・万景峰(マンギョンボン)号を半年間入港禁止とし、北朝鮮当局者の入国や日朝間チャーター便の乗り入れを認めないことなどだ。さらに核実験4日後の10月13日には、独自制裁の強化・追加を閣議決定した。実施期間を6カ月として北朝鮮籍船の全面入港禁止、北朝鮮からの全面輸入禁止、北朝鮮人の入国禁止が柱だ。日本政府は07年4月と同10月、これら独自制裁を半年ずつ延長した。自民党有力者などから、日本も核武装論議を封ずるべきではないとする声が上がり、内外から懸念を招いたりもした。核実験の目的だが、北朝鮮は金正日(キム・ジョンイル)体制維持の手段として核兵器を位置づけており、核保有が本物であることを証明する必要がまずある。核保有国としての立場と核抑止力を誇示することを狙った。さらに、中国マカオの銀行バンコ・デルタ・アジア(BDA)で凍結された北朝鮮関連口座などを巡って米国との関係が膠着(こうちゃく)状態に陥っているなか、核実験をすることで米国を焦らせ、北朝鮮との直接協議に引き出す思惑もあったのは間違いない。結果として、実際にブッシュ米政権は北朝鮮への対応姿勢を根本的に変え、07年1月からの米朝直接協議につながった。

(小菅幸一 朝日新聞記者 / 2008年)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北朝鮮の核実験」の意味・わかりやすい解説

北朝鮮の核実験
きたちょうせんのかくじっけん

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、対米抑止力を確保するとともに、それを外交カードとして活用するため、核兵器開発を推進してきた。北朝鮮初の核実験は、2006年10月9日に実施された。地震波規模マグニチュード4.1、爆発規模0.5~1キロトンと推定される。実験の6日前には北朝鮮外務省が「安全性が保証された核実験を行う」との声明を発表していた。その後、それまで強硬な姿勢をとっていたアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権が北朝鮮との対話に前向きな姿勢をみせるようになり、この実験は北朝鮮にとって瀬戸際政策の典型的な成功例だったといえる。

 2回目の実験は、2009年5月25日に実施された。地震波規模マグニチュード4.52、爆発規模2~3キロトンと推定される。北朝鮮はこれに先だつ4月14日、北朝鮮・韓国と日米中ロによる六か国協議からの離脱を表明し、同月29日には「核再実験や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を含めた自衛的措置を講じる」との外務省代弁人声明を発表していた。ここまでが金正日(キムジョンイル)政権下での実験である。

 3回目の実験は、金正恩(キムジョンウン)政権下、2013年2月12日に実施された。地震波規模マグニチュード4.9、爆発規模6~7キロトンと推定される。同年の1月23日には北朝鮮外務省が「核抑止力を含む自衛的な軍事力を拡大、強化する物理的対応をとる」との声明を出していた。2012年4月の憲法改正で「核保有国」であることを誇示し、2013年3月には朝鮮労働党中央委員会全員会議(総会)で経済建設と核開発を両立させる「新たな並進路線」を打ち出した。その後、北朝鮮の核開発はいっそう加速化する。

 4回目の実験は、2016年1月6日に実施された。地震波規模マグニチュード4.85、爆発規模は6~7キロトンと推定される。この実験以降は事前通告が行われなくなった。初の水爆実験とされたが、それを疑問視する声もある。

 5回目の実験は、2016年9月9日実施。地震波規模マグニチュード5.1、爆発規模11~12キロトンと推定される。北朝鮮の核兵器研究所は「核弾頭の威力判定のための核爆発実験を断行」「アメリカをはじめとする敵対勢力どもの脅威と制裁騒動に対する実質的対応措置の一環」と声明。「戦略弾道ロケット(ミサイル)に装着できるように標準化、規格化した核弾頭」の製造能力を獲得したとアピールした。

 6回目の実験は、2017年9月3日実施。地震波規模マグニチュード6.1、爆発規模160キロトンと推定される。最大で250キロトンとの推定もあり、能力の飛躍的向上が明確になった。アメリカがトランプ政権となってから初の実験。核兵器研究所は「ICBM搭載用水爆実験を成功裏に断行」と声明。その後11月29日のICBM発射実験により、「国家核武力の完成」が政府声明として宣言された。

 金正恩政権は、これらの実験成果を背景にして翌2018年6月、史上初の米朝首脳会談を実現した。

[礒﨑敦仁 2020年10月16日]

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