精選版 日本国語大辞典 「北条時行」の意味・読み・例文・類語
ほうじょう‐ときゆき【北条時行】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
鎌倉末~南北朝期の武将。第14代執権北条高時(たかとき)の次男。幼名亀寿丸(かめじゅまる)。通称相模(さがみ)次郎。鎌倉幕府滅亡(1333年5月)の際、信濃諏訪(しなのすわ)氏にかくまわれたが、京都の西園寺公宗(さいおんじきんむね)、北条泰家(やすいえ)らと通謀、1335年(建武2)7月信濃で挙兵。足利直義(あしかがただよし)を破り、鎌倉を奪還したが、翌8月足利尊氏(たかうじ)に敗れて逃走した(中先代(なかせんだい)の乱)。38年(延元3・暦応1)朝敵赦免の綸旨(りんじ)を得て、西上する北畠顕家(きたばたけあきいえ)軍に参加、美濃青野原(みのあおのがはら)で足利方を破った。52年(正平7・文和1)閏(うるう)2月、尊氏と直義らの争いに乗じ、新田義宗(にったよしむね)・義興(よしおき)兄弟が挙兵。時行もこれに参加し、ふたたび鎌倉を奪還。しかし、やがて捕らえられ、翌年5月鎌倉竜ノ口(たつのくち)にて斬殺(ざんさつ)された。
[奥富敬之]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
(福島金治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
南北朝初期の武将。高時の次男。1333年(元弘3)鎌倉幕府滅亡のとき,鎌倉を脱出し信濃の諏訪頼重のもとに隠れる。35年(建武2)西園寺公宗と通じて挙兵。足利直義軍を破って鎌倉を占領したが,東下した足利尊氏軍に敗れた(中先代の乱)。37年南朝に帰順し,西上する北畠顕家軍に従軍する。52年観応の擾乱(じようらん)に乗じて鎌倉を占拠したが,捕らえられ,翌年5月に殺された。
執筆者:青山 幹哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
?~1353.5.20
南北朝期の武将。高時の次男。相模次郎。鎌倉幕府滅亡の際,北条氏得宗家の被官諏訪盛高の手により鎌倉をのがれ,信濃の諏訪頼重にかくまわれた。1335年(建武2)京都の西園寺公宗(きんむね)とはかって挙兵(中先代(なかせんだい)の乱),鎌倉を占領したが,追討に下った足利尊氏に敗れ20余日で鎌倉を奪還された。その後は南朝に属して尊氏に対抗したが,鎌倉竜口(たつのくち)で斬首。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
※「北条時行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新