北風荘右衛門(読み)きたかぜ・そうえもん

朝日日本歴史人物事典 「北風荘右衛門」の解説

北風荘右衛門

没年:享和2.8.21(1802.9.17)
生年:元文1(1736)
江戸中期の豪商。摂津国青木村(神戸市)の松田次左衛門の次男。のち兵庫津の豪商北風荘右衛門家の養子となり,貞幹と称した。荘右衛門家は晴村(1657年没)以来,代々荘右衛門を名乗った。兵庫の諸問屋大坂川口の入潮待ちの一時の商売や浜本陣での諸藩公用船の積荷(蔵物)の販売もする諸品売買問屋であった。明和6(1769)年兵庫が幕府領となると,兵庫問屋株は幕府によって否定され,商売を続けるためには問屋は多額の銀子で大坂などから問屋株を買収しなければならなくなった。このときに当たり,貞幹は店方会計とは別に,個人所有の廻船によって蝦夷地の海産物を取り扱う北前交易に進出し,買積船による廻船経営と北前船のもたらす積荷売買によって莫大な利潤をあげた。天明年間(1781~89)には窮民救済策として湊川川尻新田開発を行うなど,幕末までに兵庫随一の豪商へと成長する北風家の基礎を築いた。

(柚木学)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北風荘右衛門」の解説

北風荘右衛門 きたかぜ-そうえもん

1736-1802 江戸時代中期-後期の豪商。
元文元年生まれ。摂津青木(おうぎ)村(兵庫県神戸市)の人。兵庫津の諸問屋北風荘右衛門家の養子。蝦夷(えぞ)地(北海道)の海産物をあつかう北前(きたまえ)交易に進出して多大な利益をえる。天明のころ湊川(みなとがわ)川尻(かわじり)の新田開発も手がけ,北風家が兵庫一の豪商に成長する基礎をかためた。享和2年8月21日死去。67歳。本姓は松田。名は貞幹(さだみき)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android