十寸見河東(初世)(読み)ますみかとう

世界大百科事典(旧版)内の十寸見河東(初世)の言及

【江の島】より

…(4)河東節の曲名。竹婦人(ちくふじん)作詞,初世十寸見(ますみ)河東作曲。江の島縁起による作品だが,現在は廃曲。…

【河東節】より

…1717年(享保2)2月に江戸太夫(十寸見(ますみ))河東が江戸市村座で《松の内》を語ったのをはじめとする。それ以前の江戸には,初め江戸肥前掾の肥前節,ついで弟子の江戸半太夫の半太夫節が流行したが,初世十寸見河東は江戸半太夫の弟子。以上の肥前節,半太夫節と河東節を江戸節といったが,河東節だけが今日に残り,江戸生れ江戸育ちの浄瑠璃という誇りをもっている。…

【砧】より

…【横道 万里雄】(2)河東(かとう)節の曲名で,《きぬた》と表記する。能の《砧》の一部を借りて半太夫節に作られていたのを,初世十寸見(ますみ)河東が河東節に移し古風な雰囲気を伝える。のち4世十寸見河東が1746年(延享3)にこの改作《常磐の声》を作ったが,廃曲。…

【半太夫節】より

…《松の葉》(1703),《若緑》(1706),《松の落葉》(1710)などによると,当時上方では,江戸を代表する浄瑠璃として,盛んに演奏されており,肥前節(江戸肥前掾),河東節とともに江戸節ともいわれた。その曲節は主として弟子の初世十寸見河東(ますみかとう)をへて河東節に伝わったが,その他の三味線音楽にも〈江戸〉または〈江戸がかり〉として,優雅で淡泊な雰囲気を出すときに使われている。半太夫節を移した曲として,河東節には《きぬた》《鑓踊(やりおどり)》《蓬萊(ほうらい)》などが,地歌の〈半太夫もの〉としては《意見曾我》などが伝わっている。…

【山彦源四郎】より

…初世江戸半太夫の弟子と伝える。1717年(享保2)初世十寸見(ますみ)河東と河東節創立に参加,以後4世河東まで弾き,河東節三味線のスタイルを確立した。その姓は,3世石村近江作の山彦銘の三味線を入手してからという。…

※「十寸見河東(初世)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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