朝日日本歴史人物事典 「千宗室(4代)」の解説
千宗室(4代)
生年:元和8(1622)
江戸初期の茶人。千宗旦の4男。通称長吉郎,医師名玄室,仙叟,臘月庵と号した。古宗室と追称される。季子であるが,利休の孫としての父宗旦が,さらに追求した侘び茶の境地を茶室今日庵,又隠,寒雲亭と共に継承し,裏千家を確立した。寛永18(1641)年,医師野間玄琢の弟子となるが,4年後に玄琢の死去にあう。慶安4(1651)年名を宗室と改め,翌年には加賀(金沢市)の前田利常に仕官し三の丸に屋敷を賜り,茶道茶具奉行となる。綱紀にも仕え,味噌蔵町に住み,陶工大樋長左衛門,釜師宮崎寒雉などを育成,金沢の地に茶の湯を普及させた。元禄3(1690)年,京都で利休百回忌を主催,千家の中に初めて利休堂を建てた。墓は京都大徳寺聚光院にあるが,金沢の月心寺にも墓塔が存する。<参考文献>千宗左(13代)編『元伯宗旦文書』
(戸田勝久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報