朝日日本歴史人物事典 「千宗左(7代)」の解説
千宗左(7代)
生年:宝永2(1705)
江戸中期の茶人。不審庵表千家7代家元。幼名は与太郎。宗巴,宗員ののち享保15(1730)年宗左を襲名した。如心斎,丁々軒を号し,道号は天然。父は6代宗左(覚々斎原叟)。都市における茶道人口の増加にともない,一種の集団稽古ともいうべき千家七事式を考案し,稽古の面白さを工夫した。また全国的な流派の普及にともない家元制を整備し,高弟の川上不白を江戸に派遣するなど,積極的に時代に対応した。如心斎は表千家中興ともいわれ,流出していた利休自筆遺偈を千家に戻した。<参考文献>千宗左(13代)編『表千家』
(熊倉功夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報