千家 尊福(読み)センゲ タカトミ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「千家 尊福」の解説

千家 尊福
センゲ タカトミ


肩書
貴院議員,司法相,出雲大社教初代管長,出雲大社大宮司

生年月日
弘化2年8月6日(1845年)

出生地
出雲国(島根県)

経歴
明治5年出雲大社大宮司、大教正を兼ねた。11年出雲国造(いずものくにのみやつこ)第80代を継承。15年大宮司を辞し公認された出雲大社教の初代管長となり、神道興隆尽力。17年華族に列せられ男爵。21年管長を辞め元老院議官、23年以来貴院議員当選4回。その間文部省普通学務局長、埼玉、静岡各県知事、東京府知事を経て、41年第1次西園寺内閣司法相となった。法典調査会委員、法律取調委員会会長などのほか、東京鉄道会社社長を務めた。歌をよくし「大八洲歌集」があり、“年の始めのためしとて”で始まる唱歌「一月一日」の作者著書に「教学大要」「出雲大神」など。

受賞
勲一等旭日大綬章

没年月日
大正7年1月3日

家族
父=千家 尊澄(出雲国造・国学者) 息子=千家 元麿(詩人)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「千家 尊福」の解説

千家 尊福
センゲ タカトミ

明治期の神道家,政治家,歌人,男爵 出雲大社教初代管長;出雲大社大宮司;貴院議員;司法相。



生年
弘化2年8月6日(1845年)

没年
大正7(1918)年1月3日

出生地
出雲国(島根県)

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章

経歴
明治5年出雲大社大宮司、大教正を兼ねた。11年出雲国造(いずものくにのみやつこ)第80代を継承。15年大宮司を辞し公認された出雲大社教の初代管長となり、神道の興隆に尽力。17年華族に列せられ男爵。21年管長を辞め元老院議官、23年以来貴院議員当選4回。その間文部省普通学務局長、埼玉、静岡各県知事、東京府知事を経て、41年第1次西園寺内閣司法相となった。法典調査会委員、法律取調委員会会長などのほか、東京鉄道会社社長を務めた。歌をよくし「大八洲歌集」があり、“年の始めのためしとて”で始まる唱歌「一月一日」の作者。著書に「教学大要」「出雲大神」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「千家 尊福」の解説

千家 尊福 (せんげ たかとみ)

生年月日:1845年8月6日
明治時代の神道家;政治家。東京府知事;西園寺内閣法相
1918年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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