南宗寺(読み)なんしゅうじ

精選版 日本国語大辞典 「南宗寺」の意味・読み・例文・類語

なんしゅう‐じ【南宗寺】

大阪府堺市南旅籠町東にある臨済宗大徳寺派の寺。山号は龍興山。弘治二年(一五五六三好長慶が父元長の菩提を弔うため大林宗套(だいりんそうとう)を開山に迎えて創建。たびたび兵火にあったが一二世沢庵宗彭により再興。千利休の墓があり、ゆかりの茶室実相庵(昭和三一年再建)がある。

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デジタル大辞泉 「南宗寺」の意味・読み・例文・類語

なんしゅう‐じ【南宗寺】

大阪府堺市にある臨済宗大徳寺派の寺。山号は竜興山。開創は弘治2年(1556)、開山は大林宗套だいりんそうとう、開基は三好長慶。兵火にあって焼失したが、沢庵宗彭たくあんそうほうが中興。境内に武野紹鴎たけのじょうおう千利休供養塔がある。

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日本歴史地名大系 「南宗寺」の解説

南宗寺
なんしゆうじ

[現在地名]堺市南旅篭町東三丁

旧環濠の南堀に架かる塩穴しあな橋の北東に位置する。臨済宗大徳寺派、山号龍興山、本尊釈迦如来。弘治三年(一五五七)三好長慶が父元長の菩提のため普通国師大林宗套を開基として創立した(本朝高僧伝)。前身は舳松へのまつ町にあった南宗庵。京都大徳寺七五世大聖国師古嶽宗亘の大永六年(一五二六)偈写(祥雲寺蔵)に「旧菴更始号南宗」とあるように、古嶽は堺南さかいみなみ庄舳松にあった小庵を入手して南宗庵と号し、大徳寺塔頭大仙だいせん院開創後ここに隠居した(本朝高僧伝)。古嶽の門下が大林であり南宗庵で師弟は起居していたが、天文一七年(一五四八)古嶽が没し、大林が南宗庵を継承して庶民教化を行っていた(特賜正覚普通国師塔銘「堺市史」所収)。その頃大林に帰依していた三好長慶が発願し一寺を建立して南宗庵を移したという。当時の規模は境内東西八町・南北三〇町で、仏殿・山門・総門・回廊・大塔・法堂・斎堂・東司・経堂・鐘楼・知客寮などを具備していたという(全堺詳志)。寺域の中心は北東現中之なかのひがし四丁の妙法みようほう寺付近ともいわれる。長慶より先、商人・茶人で知られる武野紹鴎も大林に帰依参禅し、南宗庵を一新して大林を開山とした寺院建立を企図したが果せずに没した。その経緯があったので長慶の発願と大林の意が合致し、建立に至ったと考えられる。

南宗寺
なんしゆうじ

[現在地名]八戸市糠塚 北糠塚

長者ちようじや山の西麓に位置する。月渓山と号し、臨済宗。本尊は釈迦牟尼。寛文六年(一六六六)八戸藩南部家の菩提所として類家るいけ村の本寿ほんじゆ寺の隣に建立され(八戸藩史料)、寺領一〇〇石を九戸くのへ軽米かるまい(現岩手県九戸郡軽米町)にて給された(南宗寺文書)。開山は東厳、開基は初代藩主南部直房(「御領内寺院来由全」八戸市立図書館蔵)

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改訂新版 世界大百科事典 「南宗寺」の意味・わかりやすい解説

南宗寺 (なんしゅうじ)

大阪府堺市にある臨済宗大徳寺派の寺。竜興山と号する。1556年(弘治2)三好長慶が前大徳寺住持の大林宗套(だいりんそうとう)を開山に迎えて創建。その後,大徳寺派重鎮の禅僧が歴代住持となり,堺町衆の中に大徳寺の禅が浸透する拠点となった。1574年(天正2)松永久秀に焼かれ,1615年(元和1)大坂夏の陣の兵火で焼失,のち沢庵の努力で現寺地に復興。そのため沢庵を当寺中興の祖と仰ぐ。近世の寺領110石,堂々とした伽藍整備も成ったが,第2次大戦で仏殿と山門などを残して炎上し,近時復興した。わび茶との関係が深く,庭園は古田織部の作と伝えて,泉石の配置の妙で知られ,千利休遺愛の手水鉢もある。また境内には利休のわび茶の師武野紹鷗(たけのじようおう),利休の一門,連歌師牡丹花肖柏ぼたんかしようはく)など,錚々たる堺の町衆文化人の墓がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南宗寺」の意味・わかりやすい解説

南宗寺
なんしゅうじ

大阪府堺(さかい)市南旅籠(みなみはたご)町にある臨済(りんざい)宗大徳寺派の寺。山号は竜興(りゅうこう)山。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1526年(大永6)京都大徳寺75世古岳宗亘(こがくそうせん)の草創した南宗庵(あん)を、1556年(弘治2)に武将三好長慶(みよしながよし)が父の菩提(ぼだい)所とするため現地に移建し、開山は宗亘の弟子大林宗套(だいりんそうとう)である。当初は仏殿、山門、総門、大塔、法堂など堂舎完備したが、1574年(天正2)松永久秀(ひさひで)の乱入のため過半を焼失、さらに1615年(元和1)大坂夏の陣にふたたび兵火にかかり全焼。1619年第4世沢庵宗彭(たくあんそうほう)が岸和田藩主小出(こいで)吉英らの支援を受け、堂宇を再興し中興開山となった。徳川氏の外護(げご)により一時旧観に復したが、やがて寺運は衰微する。仏殿、甘露(かんろ)門は府指定文化財。有名な天文(てんぶん)版論語の版木を蔵する。

 当寺は茶人との関係が深く、境内には武野紹鴎(たけのじょうおう)・千利休(せんのりきゅう)の供養塔、利休好みの茶室と伝えられる実相(じっそう)庵がある。また、古田織部(ふるたおりべ)作の枯山水の庭園も名高い。

[平井俊榮]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南宗寺」の意味・わかりやすい解説

南宗寺
なんしゅうじ

堺市にある臨済宗大徳寺派の寺。大永6 (1526) 年の創設と伝える。その後,三好氏,豊臣秀吉徳川秀忠などの援助を受けた。千利休の茶室も移築されている。また天文版『論語』の板木を所蔵している。

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