南浦紹明(読み)なんぽじょうみょう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南浦紹明(なんぽじょうみょう)
なんぽじょうみょう
(1235―1308)

「じょうみん」とも読む。鎌倉後期の臨済(りんざい)宗の禅僧。姓は藤原氏。駿河(するが)国(静岡県)安倍(あべ)郡の人。まず郷里の建穂寺で学び、15歳のとき鎌倉建長寺の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)に師事。25歳で入宋(にっそう)し、虚堂智愚(きどうちぐ)に従って大悟、1267年(文永4)帰朝した。虚堂の餞別(せんべつ)の偈(げ)に「東海児孫日転多(とうかいのじそんひにうたたおおし)」の句があり、虚堂の法を南浦が日本に広めるのを予言したとして名高い。得宗家一門の肥前国(佐賀・長崎県)守護や大宰府少弐(だざいふしょうに)氏らの信仰を得、1270年(文永7)筑前(ちくぜん)国(福岡県)姪浜(めいのはま)の興徳寺に住し、1272年には同国横岳の崇福(そうふく)寺に移り、以後33年間ここで活躍した。下野(しもつけ)国(栃木県)雲巌(うんがん)寺の高峰顕日(こうほうけんにち)とともに天下の二甘露門(かんろもん)とたたえられ、晩年は京都万寿(まんじゅ)寺、鎌倉建長寺に歴住し、延慶(えんけい)元年12月29日に示寂した。塔は崇福寺の瑞雲庵(ずいうんあん)(現在同寺別院)などにあり、『語録』1巻が伝わる。勅諡(ちょくし)号を円通大応(だいおう)国師といい、門派を大応派という。弟子に宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)、可翁宗然(かおうそうねん)(?―1345)などがいる。[菅原昭英]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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