即非如一(読み)そくひにょいち

精選版 日本国語大辞典 「即非如一」の意味・読み・例文・類語

そくひ‐にょいち【即非如一】

江戸初期の黄檗宗の僧。明の福清県(福建省)の人。隠元に学び、明暦三年(一六五七)、師に四年おくれて来日し、長崎崇福寺に住した。寛文三年(一六六三)隠元を宇治黄檗山に訪ね、翌年帰国を志して西下途中小倉福聚寺開山となり、同八年望みを果たさぬまま崇福寺に退いた。元和二~寛文一一年(一六一六‐七一

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「即非如一」の意味・読み・例文・類語

そくひ‐にょいち【即非如一】

[1616~1671]江戸前期の黄檗おうばく宗の僧。明の福清県(福建省)の人。師の隠元に続いて来日し、長崎崇福寺・宇治黄檗山に住した。小倉の福聚寺の開山。黄檗三筆の一人

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「即非如一」の意味・わかりやすい解説

即非如一
そくひにょいち
(1616―1671)

江戸時代に中国から来日した黄檗(おうばく)宗の僧。明(みん)の福清県(福建省)の人。15歳から黄檗山で修学、のち石雨(せきう)、朝宗(ちょうしゅう)、万如(まんにょ)、亘信(こうしん)(1603―1659)、永覚(えいかく)(1578―1657)ら諸師に参じ黄檗に帰山。1650年(順治7)隠元(いんげん)より印可を受く。1657年(順治14、明暦3)来日、長崎崇福寺(そうふくじ)に住した。当時、福済寺(ふくさいじ)の木庵性瑫(もくあんしょうとう)とともに二甘露門(かんろもん)と称された。1663年(寛文3)宇治黄檗山に隠元を訪れ、翌1664年長崎への途次、豊前(ぶぜん)(福岡県)小倉(こくら)公に請ぜられ福聚寺(ふくじゅじ)開山となる。のち崇福寺に退隠、そこで示寂した。著作に『即非禅師全録』25巻がある。

船岡 誠 2017年2月16日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「即非如一」の解説

即非如一 そくひ-にょいち

1616-1671 清(しん)(中国)の僧。
万暦44年5月14日生まれ。黄檗(おうばく)宗。黄檗山の隠元隆琦(りゅうき)について受戒し,法をつぐ。明暦3年来日し,肥前長崎の崇福(そうふく)寺の住職となった。寛文5年豊前(ぶぜん)小倉藩(福岡県)藩主小笠原忠真(ただざね)にむかえられ,福聚(ふくじゅ)寺をひらく。黄檗三筆のひとり。寛文11年5月20日死去。56歳。福建省出身。俗姓は林。著作に「即非禅師全録」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「即非如一」の解説

即非如一 (そくひにょいち)

生年月日:1616年5月14日
江戸時代前期の渡来僧
1671年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android