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原マルティーニョ はら・まるてぃーにょ

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朝日日本歴史人物事典の解説

原マルティーニョ

没年:寛永6.9.7(1629.10.23)
生年:永禄11頃(1568)
天正遣欧少年使節の副使,のちイエズス会司祭。肥前大村(長崎県)領波佐見出身。原鈍丸知野の自署がある。別名マルティーニョ・ド・カンポ(Martinho do Campo,カンポはポルトガル語で「原」の意味)。天正8(1580)年有馬のセミナリオ(神学校)に学ぶ。同10年1月28日,遣欧使節の副使のひとりとして長崎をたちローマに赴く。帰途ゴアで正使伊東満所を差し置いてヴァリニァーノに長文のラテン語による謝辞を述べる。この演述は同16年同地で同行の日本人(ドゥラード)により印刷されキリシタン版印刷の先がけとなる。帰国後の同19年6月天草の修練院でイエズス会に入る。慶長5(1600)年準管区長ゴメスの葬儀ミサで選ばれて追悼説教を行い,司教セルケイラを補佐し教区の公証人となる。同13年司祭に叙階。語学の才に恵まれキリシタン版「こんてむつすむん地」「ギア・ド・ペカドル」「ヒデスの経」を再訳訂正し印刷に関与。同18年管区長カルヴァリョの秘書を務めて日本人イエズス会士の中心的存在となり,長崎学院長就任を噂されたが実現しなかった。翌年の宣教師追放時にはマカオ渡航を余儀なくされる。ジョアン・ロドリゲス執筆の『日本教会史』作成に協力し,同地で病没。ラテン語,音楽のみならず,経験,学識,説教ともに抜群の能力の持ち主であった。<参考文献>H.チースリク「キリシタン時代の邦人司祭」(『キリシタン文化研究シリーズ』22)

(五野井隆史)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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