古庄逸翁(読み)こしょう・いつおう

朝日日本歴史人物事典 「古庄逸翁」の解説

古庄逸翁

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:寛政3(1791)
豊後(大分県)姫島殖産,教育に努めた庄屋,姫島塩田開発者。諱は重政。6歳で島の庄屋を継ぐ。嘉永3(1850)年の凶作に際し,島民救済のため塩田2町歩,耕地1町2反歩の開拓事業を興し,さらに杵築藩出資をえて安政5,6(1858,59)年に塩田9町歩,耕地2反歩を開発した。重政にもとより資産はなく,ときには妻と共に塩菰などを編み生計の資としたと伝え,一生を島民と塩田のためにささげた。古庄家は,その父拙翁も塩田1町5反歩を開き,また甘薯栽培も始めている。幕末には一族の古庄嘉四郎も姫島六番浜の干拓を行っている。<参考文献>水上清『塩と碑文

(廣山堯道)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古庄逸翁」の解説

古庄逸翁 こしょう-いつおう

1791-? 江戸時代後期の塩田開発者。
寛政3年生まれ。豊後(ぶんご)(大分県)姫島の庄屋。嘉永(かえい)(1848-54)のころ姫島に入浜式の塩田をひらく。ついで豊後杵築(きつき)藩からも出資をうけ,安政6年までに約9haの塩田を造成した。名は重政。通称は小右衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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