台東区(読み)タイトウク

デジタル大辞泉 「台東区」の意味・読み・例文・類語

たいとう‐く【台東区】

台東

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日本歴史地名大系 「台東区」の解説

台東区
たいとうく

面積:一〇・〇八平方キロ

二三区のほぼ中心に位置し、東は隅田川を隔てて墨田区、南は中央区・千代田区、西は文京区、北は荒川区に接する。上野の山と隅田川に接した下町が中心。二三区中で最も面積が小さいが、JR東北・山形・秋田・上越・長野の各新幹線のほか、山手線・京浜東北線・高崎線・常磐線・東北本線、地下鉄銀座線・日比谷線などが乗入れるターミナル駅上野駅を有する。JR山手線東側をほぼ南北に国道四号が通る。区名は康熙字典に「日出る処衆人集って栄える場所」と解説される言葉「台東」からとられ(台東区史)、この意味のほか「台」は上野の高台、「東」は上野台の東に位置する浅草という地勢的な意味を表している。

〔原始〕

区域の自然地形は西側が武蔵野台地東端、東側が東京低地西端に立地しており、台地部は上野台を主として旧石神井しやくじい川の流路と推測される根津ねづ谷を挟み本郷台にもかかる。低地部は隅田川を東境とし、その西岸に沿う微高地、さらに上野台との間の低湿地となる。

旧石器時代の遺跡はまだ不明瞭な状況であるが、上野台東縁の上野忍岡うえのしのぶがおか遺跡群国立西洋美術館地点では立川ローム層などから細石刃や剥片、西縁の同遺跡群都立上野高等学校地点では黒曜石が出土している。また同地点から続く小支谷の奥に立地する上野桜木町うえのさくらぎちよう遺跡では谷の両縁に黒曜石のナイフなどのほか多量の礫が確認され、旧石器時代後期の様相が明らかになりつつある。縄文時代には前期を中心に、区域の東半分の東京低地域および根津谷が海進により水没しており、台地縁辺に貝塚が形成されている。上野台東縁では北寄り谷中やなか霊園内に中期の天王寺てんのうじ貝塚、南寄りに後期の新坂しんざか貝塚があり、台地西縁では北寄りに中期の領玄寺りようげんじ貝塚、さらに根津谷が東京低地に流入する地点の西岸本郷台縁辺に後・晩期の湯島ゆしま貝塚が知られる。海退に伴い貝塚の位置が南下するようである。貝塚以外の縄文時代の遺跡は広範囲にみられ、上野公園を中心に広がる上野忍岡遺跡群では西側の東京芸術大学附属音楽高校地点において早期の炉穴、東縁の国立西洋美術館・上野駅東西自由通路地点では前期の住居跡があり、中期の遺物は広く出土し、都立上野動物園地点では遺構も確認される。また本郷台上でも早期の炉穴、台地下では湯島貝塚と同時期の後・晩期の泥炭層遺跡が確認されている。ちなみに隅田川沿岸の浅草寺遺跡では晩期の土器が採集されている。弥生時代の遺構は主として上野忍岡遺跡群で確認されているが、東縁の国立科学博物館たんけん館地点から国立西洋美術館・東西自由通路地点で終末期頃の住居跡が調査されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「台東区」の意味・わかりやすい解説

台東〔区〕
たいとう

東京都 23特別区の一つ。1947年下谷区と浅草区が合体して成立。東京都の北東部,隅田川以西,上野と浅草一帯の地域を含む。JR山手線以西は武蔵野台地の末端で,谷中霊園をはじめとする谷中寺院地区(→谷中)と,寛永寺不忍池上野動物園国立西洋美術館国立科学博物館東京国立博物館などのある上野恩賜公園地区がある。JR山手線以東の隅田川河畔までは沖積低地で,商店と住宅が混在する密集市街地を形成している。なかでも浅草寺がある浅草は,商店街,歓楽街が集中。東上野(旧稲荷町)の神仏具,花川戸のはきもの,松ヶ谷と西浅草(合羽橋)の飲食店用具と菓子,浅草橋蔵前の玩具・文具類,人形などの問屋街があり,また柳橋あたりには多くの料亭がある。文化財に富み,国の史跡に,蒲生君平伊能忠敬高橋至時平賀源内らの墓がある。多数の国宝が東京国立博物館に所蔵され,東京芸術大学大学美術館にも 2点所蔵されている。また,浅草寺の法華経も国宝である。上野駅は東北新幹線上越新幹線の乗り入れ駅で,JR東北本線,常磐線などの起点である。1927年日本最初の地下鉄(上野-浅草間)が開通した。国道4号線,6号線,首都高速1号上野線が通り,上野,入谷インターチェンジがある。面積 10.11km2。人口 21万1444(2020)。

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