吉村流(読み)よしむらりゅう

精選版 日本国語大辞典 「吉村流」の意味・読み・例文・類語

よしむら‐りゅう ‥リウ【吉村流】

〘名〙 日本舞踊京舞の一流派幕末から明治時代にかけて京都吉村ふじ創始したが井上流勢力に押され、大阪に迎えられ大阪南地で広まった。井上流とともに京舞を代表する。

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デジタル大辞泉 「吉村流」の意味・読み・例文・類語

よしむら‐りゅう〔‐リウ〕【吉村流】

日本舞踊の上方舞の流派の一。明治中期に吉村ふじが創始。繊細で軽妙な技法特色とする。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉村流」の意味・わかりやすい解説

吉村流
よしむらりゅう

上方(かみがた)舞の流派。流祖は吉村ふじ(?―1909)で、京都の御殿舞(ごてんまい)の師匠山ノ内ふくの門下、小ふくに師事し、山ノ内ふじを名のる。明治30年代に京都から大阪に移って吉村流をおこし、南地芸妓(げいぎ)の師匠を勤めた。2世家元は初世の門弟ゆう(1865―1932)が継いで地盤を広げ、3世家元は2世の門弟雄光(ゆうこう)(1909―61)が継承。4世家元雄輝(ゆうき)(1923―98)は初の男性家元で、新作や古曲の振付けを意欲的に行い、また早くから東京にも進出して門下を育成し、流儀を発展させた。1986年(昭和61)人間国宝に認定され、97年(平成9)文化功労者。雄輝の没後、5世家元を門弟雄輝夫(ゆきお)(1932―2000)が継承。雄輝夫の没後、6世家元を雄輝の門弟輝章(きしょう)(1947― )が継いだ。

[如月青子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉村流」の意味・わかりやすい解説

吉村流
よしむらりゅう

日本舞踊,上方舞の一流派。京都で御殿舞 (篠塚流の説もある) を学んだ吉村ふじ (?~1909) に始る。山ノ内ふくの門弟小ふくに学び,一流を樹立。2世家元は1世の門弟ゆう (1865~1932) 。本姓疋田。3世家元は2世の門弟雄光 (1908~1961) 。3世の没後,4世家元には初めて男性の吉村雄輝を迎える。 1998年4世家元の死去に伴い門弟雄輝夫 (本名浦田四郎,1932.6.30.大阪~ ) が5世家元を継承した。

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デジタル大辞泉プラス 「吉村流」の解説

吉村流

日本舞踊の流派のひとつ。上方舞。京都で御殿舞を学んだ吉村ふじが、明治時代の中頃に大阪南地(なんち)の花街に移り創流。

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世界大百科事典(旧版)内の吉村流の言及

【日本舞踊】より

…さらに新舞踊からも新流派はあり,藤蔭流,五条流,林きむ子(1886‐1967)の林流,西崎緑の西崎流がある。上方舞では篠塚文三郎(?‐1845)を祖とする篠塚流,井上八千代の井上流,山村友五郎による山村流,楳茂都(うめもと)扇性の楳茂都流,吉村ふじ(?‐1909)の吉村流等がある。歌舞伎舞踊【菊池 明】。…

※「吉村流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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