朝日日本歴史人物事典 「吉沢検校(2代)」の解説
吉沢検校(2代)
生年:文化5.10.2(1808.11.19)
幕末に活躍した箏曲家。父は初代吉沢検校(尾張国海部郡日置村明通寺住職北条義照の子とされる)。初名は古川花の一。天保5(1834)年父を師として検校になり,父の没後吉沢審一と改名。平曲,地歌箏曲,胡弓のほか,雅楽を浄心寺住職羽塚秋楽に,国学と和歌を島津神社神官氷室長翁に学び,秦松州,奥田亮斎から漢学も修得。嘉永5(1852)年尾張盲人支配頭となり,毎年藩主祖祭に平曲を献奏。光崎検校に私淑し,その路線を推進した。『古今集』『新古今集』の和歌をそのまま歌詞とし,古今調子,半楽調子,想夫恋調子など新調弦を用いた新形式の箏組歌,古今組(「春の曲」「夏の曲」「秋の曲」「冬の曲」「千鳥の曲」,ただし「千鳥の曲」の後歌のみ『金葉集』による),古今新組(「山桜」「唐衣」「初瀬川」「新雪月花」)を作曲した。ほかに「玉くしげ」「深山木」や,胡弓入りの「蝉の曲」がある。小松景和をはじめとする箏曲界の重要人物を100人以上育成した。享和1(1801)年10月2日生まれ,明治5(1872)年9月19日没という説もある。<参考文献>平野健次監修・解説レコードアルバム『箏曲地歌大系』
(久保田敏子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報