吉田兼好(読み)よしだけんこう

精選版 日本国語大辞典 「吉田兼好」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐けんこう【吉田兼好】

鎌倉後期から南北朝時代の歌人。俗名は卜部兼好(かねよし)二条派。堀河具守の家司(けいし)となり、宮廷に出仕して蔵人・左兵衛佐に至ったが、のち出家。随筆「徒然草」に、その哲学的・宗教的人生観を展開する。二条家の藤原為世の弟子として、和歌四天王の一人と称せられ、「兼好自撰家集」がある。弘安六頃~観応三年以後(一二八三頃‐一三五二以後

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デジタル大辞泉 「吉田兼好」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐けんこう〔‐ケンカウ〕【吉田兼好】

兼好けんこう

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改訂新版 世界大百科事典 「吉田兼好」の意味・わかりやすい解説

吉田兼好 (よしだけんこう)
生没年:1283?-1353?(弘安6?-正平8?・文和2?)

鎌倉末~南北朝期の歌人,随筆家本名は卜部兼好(うらべのかねよし)。出家ののち俗名を兼好(けんこう)と音読して法名とした。武蔵国称名寺(現,横浜市金沢区)長老あての書状断簡に〈故郷忘じ難し〉とあることから,関東で生まれたとする説もあるが,それは〈故郷〉の語義〈住みなれた地〉を誤解したもので,京都で生まれ,関東で若い時期を過ごしたのであろう。父兼顕は治部少輔で,兄弟に大僧正慈遍,兼雄がいる。兼好は宮廷に仕え,祖父の代からかかわりの深い堀河家の諸大夫ともなったが,1313年(正和2)ころ出家した。出家後の生活を支えたのは,洛外山科の田地からの年貢米であった。17年(文保1)ころから歌人として名が知られ,歌会への出席も多くなる。また,このころまでに鎌倉へも2回以上赴いている。《徒然草(つれづれぐさ)》の執筆は1317年から31年(元弘1)の40代後半から50代前半と推定され,〈つれづれなるままに〉と書き出されるこの随筆が代表作となった。

 1345年(興国6・貞和1)ころ,勅撰集風雅和歌集》の撰集に提供するため《兼好法師自撰家集》(《兼好法師集》)を編集したが,自筆草稿本が尊経閣文庫に現存する。〈雲の色に別れも行くか逢坂の関路の花のあけぼのの空〉にはじまる約280首の和歌をおさめる。いわゆる二条派風の平明優美な作品で,頓阿,浄弁,慶運とともに二条為世門下の四天王の一人と賛えられた。勅撰集には《続千載集》《続後拾遺集》《風雅集》に各1首のほか,全部で18首入集している。歌壇での地位の安定とともに,古典作品の書写や研究にも力を入れ,《古今集》《源氏物語》などの伝本に,彼が書写校合した旨の奥書を加えたものが伝えられている。晩年は,1344年(興国5・康永3)足利直義勧進の〈高野山金剛三昧院奉納和歌〉の作者となり,46年(正平1・貞和2)賢俊僧正に従って伊勢に下ったり,48年高師直に近侍したりするなど,足利幕府を中心とする武家方に接近している。最晩年の事跡としては,50年(正平5・観応1)4月玄恵法印追善詩歌,同年8月二条為世十三回忌和歌会の作者となり,翌年《続古今集》を書写,観応3年(1352)8月の日付がある《後普光園院殿御百首》に加点したことが知られている。
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朝日日本歴史人物事典 「吉田兼好」の解説

吉田兼好

没年:文和1/正平7以後(1352)
生年:弘安6頃(1283)
鎌倉・南北朝時代の歌人,随筆家。俗名は卜部兼好,法名は音読して兼好。「吉田」の称は吉田神社の神主の家の出身であることにちなむ冠称で,苗字ではないのだから,吉田兼好よりは兼好法師と呼ぶ方が正しい。治部少輔兼顕の子。堀川家の家司となり,正安3(1301)年,後二条天皇が即位すると,天皇の母である西華門院堀川具守の子であった縁により,六位の蔵人として仕える。延慶1(1308)年,天皇の死去に遭い宮廷を退く。正和2(1313)年9月以前に出家,理由は不明。歌人としては『続千載集』に1首入集し,二条為世門の和歌四天王のひとりに数えられる。康永2/興国4(1343)年ごろ成立の家集『兼好法師集』は自選で285首と連歌2句を収める。勅撰集に18首入集している。 諸説あるが,元弘1(1331)年ごろ成立とみられる主著『徒然草』は「つれづれなるままに,日暮らし,硯にむかひて」で始まる序段以下,第1段から第243段まで全244章段からなる随筆集で,その内容は無常と求道,自然観,住環境,趣味,人間観察,人生訓,有職故実と考証,逸話や滑稽談など多岐にわたり,「道念の書」「処世哲学の書」「趣味の本」とも評されるが,それぞれに一理あって作品の意図をいいあてている。宮廷を讃美し,古き世を慕い,物語的な場面に立ち会った思い出を語り,有職や考証を書き留めるのは,その若き日の学問や関心を伝えており,関東での見聞や関東人を話題にするのは,少なくとも2度,武蔵国金沢(横浜市金沢区)に下った経験によるもので,いずれも彼の自己形成に深くかかわるという点で注目される。『摩訶止観』巻5上の「心起こるは必ず縁に託す」や巻4下の「閑居静処」にちなみ,第58段で「心は縁にひかれて移るものなれば,閑ならでは道は行じがたし」と主張しているが,自身は足利尊氏の執事高師直 のもとに出入りし,『太平記』巻21「塩冶判官讒死事」によると,邪恋の恋文の代筆をして失敗したと伝えられており,一筋縄ではとらえられない人物であるのは確かである。<参考文献>桑原博史『人生の達人兼好法師』,五味文彦『中世のことばと絵』

(三角洋一)

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百科事典マイペディア 「吉田兼好」の意味・わかりやすい解説

吉田兼好【よしだけんこう】

鎌倉・南北朝期の歌人,随筆家。俗名卜部兼好(うらべかねよし)。卜部氏は神官の家。京都吉田に住み,吉田とも称した。下級公家の出で,30歳ごろ出家。二条為世に和歌を学び,《続千載集》以下の勅撰集に入集。頓阿・浄弁・慶雲と合わせ和歌四天王と呼ばれた。儒教・老荘の思想にも通じ,《徒然(つれづれ)草》は《枕草子》とともに随筆文学の代表とされる。家集に《兼好法師自撰家集》がある。晩年は,高師直に近侍するなど足利幕府を中心とする武家方に接近していたらしい。
→関連項目双ヶ丘

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田兼好」の解説

吉田兼好 よしだ-けんこう

1283ごろ-? 鎌倉-南北朝時代の歌人,随筆家。
弘安(こうあん)6年ごろの生まれ。生家は京都吉田神社の神職。卜部兼顕(うらべ-かねあき)の子。慈遍の弟。卜堀川家,のち後二条天皇につかえて左兵衛佐(さひようえのすけ)となる。30歳ごろ出家遁世(とんせい)し,二条為世(ためよ)に師事。為世門四天王のひとりにあげられ,「続(しよく)千載和歌集」以下の勅撰集に18首はいる。50歳前後に随筆「徒然草(つれづれぐさ)」をまとめたといわれる。文和(ぶんな)元=正平(しようへい)7年(1352)以後に死去。家集に「兼好法師集」。
【格言など】手枕(たまくら)の野辺の草葉の霜枯に身はならはしの風の寒けさ(「新続古今和歌集」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「吉田兼好」の解説

吉田兼好
よしだけんこう

1283?~1352?

鎌倉後期~南北朝期の歌人。父はト部兼顕(うらべのかねあき)。兄に大僧正慈遍がいる。俗名兼好(かねよし)。堀川家に家司として仕え,また当主具守の女基子の生んだ後二条天皇に六位蔵人として出仕。1308年(延慶元)天皇の死により宮廷から退いた。13年(正和2)以前に出家,法名兼好(けんこう)。修学院や横川(よかわ)に隠棲。関東に下向したこともある。二条為世の門に入り,浄弁・頓阿(とんあ)・慶運とともに二条派の和歌四天王の1人に数えられる。晩年の44年(康永3・興国5)足利直義(ただよし)勧進の「金剛三昧院奉納和歌」に参加。家集「兼好法師集」,随筆「徒然草(つれづれぐさ)」で名高い。

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旺文社日本史事典 三訂版 「吉田兼好」の解説

吉田兼好
よしだけんこう

1283〜1350?
鎌倉末期・南北朝時代の随筆家・歌人
兼好法師ともいう。俗名卜部兼良 (うらべかねよし) 。京都吉田神社の神官の子。北面の武士であったが出家し,晩年京都双岡 (ならびのおか) に住む。二条派の頓阿 (とんあ) と親しく,和歌四天王の一人に数えられた。歌は人事を詠んだものが多い。『徒然草 (つれづれぐさ) 』の作者として有名。

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とっさの日本語便利帳 「吉田兼好」の解説

吉田兼好

命長ければ辱[はじ]多し。長くとも、四十[よそじ]に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。\『徒然草』
吉田兼好(兼好法師。歌人。一二八三頃~一三五二以後)のことば。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田兼好」の意味・わかりやすい解説

吉田兼好
よしだけんこう

兼好

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田兼好」の意味・わかりやすい解説

吉田兼好
よしだけんこう

兼好」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の吉田兼好の言及

【徒然草】より

…鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。…

※「吉田兼好」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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