向山誠斎(読み)むこうやま・せいさい

朝日日本歴史人物事典 「向山誠斎」の解説

向山誠斎

没年:安政3.10(1856)
生年:享和1(1801)
江戸時代の考証学者。幕臣。江戸の人。名は源太夫,諱 は篤,字は慧典。はじめ偶堂と号し,のち誠斎を用いた。漢詩人黄村はその養子。江戸幕府奥右筆から勘定組頭に転じ,安政2(1855)年5月に箱館奉行支配組頭。翌年赴任先の宗谷で没す。文学や故事考証を好み天保年間(1830~44)以後多数の文書,記録を集めて『誠斎雑記及雑綴』と総称される百余冊の史料集を編纂した。その他編述は風俗,内治,外交にまでおよび,安政初年までの幕府の法制・財政・人事・外交関係の文書・記録類を収録した『蠧余一得』,法制史料の『吏徴』,外交史である『接蕃年表』などを著した。見識があるうえ吏務にも長じていたので,旗本中では至極評判が高かったという。

(藤實久美子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「向山誠斎」の解説

向山誠斎 むこうやま-せいさい

1801-1856 江戸時代後期の武士
享和元年生まれ。幕臣。奥右筆,勘定方組頭をへて安政2年箱館奉行支配組頭となる。考証家で,幕府の行政史料を筆写,「向山誠斎雑記」と総称される多数の古文書集をのこした。安政3年8月7日宗谷で死去。56歳。名は篤。通称は源太夫。別号に偶堂。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の向山誠斎の言及

【誠斎雑記】より

…向山(むこうやま)誠斎(篤,源大夫)が編述した雑書。原題は編述した年の干支をとって〈戊戌雑記〉(1838(天保9))などと題したものが〈丁未雑記〉(1847(弘化4))まで,この年以後は〈戊申雑綴〉(1848(嘉永1))など雑綴と題するものが編者の死没した1856年(安政3)の〈丙辰雑綴〉まである。…

【吏徴】より

…江戸幕府の職制を記した書物。向山篤(誠斎)編。1845年(弘化2)成立。首巻および上下巻は全体を〈万石以上〉〈布衣(ほい)以上〉〈御目見(おめみえ)以上〉〈御目見以下〉の4部に分け,役職ごとにその定員,格式,役高,設置年代等を列記する。別録2巻は同じく4部に分け,各職の設置以来の沿革を記し,ほかに付録1巻は奥勤,世襲職等を収録している。《続々群書類従》所収。【宮崎 勝美】…

※「向山誠斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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