吾妻 健三郎(読み)アヅマ ケンザブロウ

20世紀日本人名事典 「吾妻 健三郎」の解説

吾妻 健三郎
アヅマ ケンザブロウ

明治期の印刷技術者,ジャーナリスト 東陽堂創業者。



生年
安政3年(1856年)

没年
大正1(1912)年10月26日

出生地
出羽国米沢(山形県)

経歴
16歳で東京に出て、石版印刷に着手し、明治14年頃石版による新技法の3色印刷を開発する。内務省地理局が東北地図の印刷出版を企画し3年間を要すると見込んだものを、わずか6ケ月間で完成させ、以来地理局の信任を得て各種印刷を託された。神田駿河台に東陽堂を設立し、22年日本で最初のグラフィック雑誌・月刊画報風俗画報」を創刊した。明治20年代に多くの雑誌が登場する中、人々の生活に焦点を当てた文化史の記録とも言える異色の雑誌として、文章では描写しきれないものを絵で補足して伝えることを主旨に画報と命名、石版印刷技術を駆使して発行した。論説人事・服装・飲食・土木動植物叢談漫録といった部門に分かれ、明治維新以降急速に変化し廃れていく風俗や行事、生活用具などを網羅し、当時一流の画家による挿絵を満載、変わり行く時代を映す鏡の役割を果たした。大正5年廃刊になるまで28年間517冊を数え、災害事件時事問題にも触れ、増刊号随時発行し、東陽堂・吾妻健三郎の名を不滅のものとした。特に別冊の「新撰東京名所図会」などが知られており、明治史研究の貴重な資料とされ、戦後復刻版が出て、「風俗画報索引」も出版された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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