和歌所(読み)わかどころ

精選版 日本国語大辞典 「和歌所」の意味・読み・例文・類語

わか‐どころ【和歌所】

〘名〙 平安時代以降、勅撰集の撰集をつかさどった臨時役所村上天皇の天暦五年(九五一)に「後撰集」の撰集と「万葉集」の訓読のために梨壺(なしつぼ)に置かれ、ついで「新古今集」撰集のため二条殿に置かれ、以後、複数撰者の時に設置された。別当開闔(かいこう)寄人(よりゅうど)などの職員からなる。
本朝文粋(1060頃)一二「侍中亜将為撰和歌所別当御筆宣旨奉行文〈略〉源順

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デジタル大辞泉 「和歌所」の意味・読み・例文・類語

わか‐どころ【和歌所】

勅撰和歌集編纂へんさんのために宮中に設けられた臨時の役所。天暦5年(951)村上天皇梨壺なしつぼに設置したのに始まる。別当開闔かいこう寄人よりゅうどなどが置かれた。→御歌所おうたどころ

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改訂新版 世界大百科事典 「和歌所」の意味・わかりやすい解説

和歌所 (わかどころ)

勅撰和歌集のために設けられた撰集所。《古今和歌集》(905)撰進のときは内御書所をあてたが名はなく,正式には《後撰和歌集》(951)撰進のときに昭陽舎(梨壺(なしつぼ))に撰和歌所の置かれたのが最初。1201年(建仁1)に院御所に設けられた和歌所は《新古今和歌集》の撰定にあたった。その後臨時に設置されたこともあるが,勅撰和歌集の撰集が途絶えて後は中断し,1888年(明治21)に宮内省に御歌所が置かれるに至った。
歌会始
執筆者:

和歌所の職員は寄人(よりうど),また召人(めしうど)とよばれた。《後撰集》の撰者5人は〈梨壺の五人〉として著名だが,1201年7月,後鳥羽院の院宣によって開設された和歌所には,源家長を開闔(かいこう)(書物の出納・管理等にあたる職)として,当代の有力歌人の藤原良経,源通親,藤原俊成ら14人が寄人に任命された。同年11月にはこの寄人の中から,源通具,藤原定家ら6人が《新古今集》の撰者となっている。近代になって宮内省に設置された御歌所には,長,参候とともに寄人の職が置かれた。新年御歌会始めの詠進歌の選,月次会御会の執行などがおもな任務であった。1946年の御歌所の廃止までに井上通泰佐佐木信綱,金子元臣ら約20人が寄人となった。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「和歌所」の意味・わかりやすい解説

和歌所
わかどころ

勅撰(ちょくせん)集の編集にあたって宮中に設けられる臨時の部署。『古今和歌集』のときの承香殿(しょうきょうでん)は別に名づけられなかったが、951年(天暦5)昭陽舎(しょうようしゃ)(梨壺(なしつぼ))に和歌所を置き、源順(したごう)ら5人に命じて『万葉集』の訓読(古点)、『後撰和歌集』の編集を行わせたのが始まり。撰者1人のときは置かれなかったが、1201年(建仁1)『新古今和歌集』編集のため二条殿に置かれ、その後は複数撰者のときに置かれ、別当、開闔(かいこう)、寄人(よりゅうど)などが任ぜられた。鎌倉中期以降は、二条家が和歌師範家として公的に認められ、家に和歌所を常置したものと思われ、勅撰撰者に下命された場合は、そのための和歌所が併置された。

[橋本不美男]

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百科事典マイペディア 「和歌所」の意味・わかりやすい解説

和歌所【わかどころ】

勅撰和歌集編纂(へんさん)などのため,宮中に臨時に設けられた役所。《古今和歌集》のとき初めて設置されたが正式の名称はなかった。951年梨壺(なしつぼ)に撰和歌所を設け,藤原伊尹(これただ)を別当(長官)に,源順(したごう)など5人を寄人(よりうど)として,《後撰和歌集》の撰集と《万葉集》の訓読を行ったのが最初。勅撰集が絶えるとともに見られなくなったが,1888年設置の御歌所(おうたどころ)がその系譜を継承。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「和歌所」の解説

和歌所
わかどころ

勅撰和歌集編纂のために設置された臨時の役所。「古今集」を編纂するときは内御書所(うちのごしょどころ)を撰集所にあてたが,和歌所の名はない。951年(天暦5)の「後撰集」編纂の際,昭陽舎(しょうようしゃ)(梨壺)においたのが最初。「新古今集」の撰進にあたった和歌所は,1201年(建仁元)に院御所におかれた。職員には別当・開闔(かいこう)・寄人(よりうど)などがあり,寄人には当代の代表的歌人が起用された。「後撰集」の撰者になった和歌所詰めの人たちは,梨壺の五人(大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)・清原元輔・源順(したごう)・紀時文・坂上望城(もちき))として知られている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和歌所」の意味・わかりやすい解説

和歌所
わかどころ

勅撰和歌集の撰述などを行うために,宮中に臨時に設置される役所。『古今和歌集』撰進の宣下が実質的な和歌所の始りであるが,正式に設置されたのは,村上天皇の天暦5 (951) 年で,『万葉集』の訓点事業,『後撰和歌集』の撰進を行わせた。その後は『新古今和歌集』『続古今和歌集』『新千載和歌集』『新拾遺和歌集』『新続古今和歌集』の撰進のときにおかれた。すべての勅撰集に対しておかれたわけではない。勅撰集の撰述が絶えてからはおかれることがなかったが,1888年宮内省に御歌所 (おうたどころ) として復活してからは常置され,現在にいたっている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「和歌所」の解説

和歌所
わかどころ

勅撰和歌集の編集や和歌の講義をする役所
951年村上天皇のとき,宮中の梨壺に設けられ,『万葉集』の訓点事業,『後撰和歌集』の撰進にあたったのをはじめとする。常置的な機関ではなく,また時には歌人の私宅(二十一代集最後の『新続古今和歌集』の場合など)に置いた。明治時代に復活し,1888〜1945年宮内省に置かれた。

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