20世紀日本人名事典 「和田 雄治」の解説
和田 雄治
ワダ ユウジ
明治期の気象学者,地球物理学者
- 生年
- 安政6年9月4日(1859年)
- 没年
- 大正7(1918)年1月5日
- 出生地
- 陸奥国二本松(福島県二本松市)
- 学歴〔年〕
- 東京大学理学部物理学科〔明治12年〕卒
- 学位〔年〕
- 理学博士
- 経歴
- 陸奥二本松藩士の6男として生まれる。明治12年内務省地理局測量課に入り、測地・天測の傍ら気象を担当、日本の暴風警報・天気予報の創始にあたる。また14年寺尾寿らと東京物理学講習所(現・東京理科大学)を設立、18年中央気象台予報課長、22〜24年フランスに留学、37年日露開戦に際し韓国仁川観測所長となる。在韓中の43年15世紀の李朝の雨量計による気象観測についての記録を仏文で発表、翌年英訳されて世界的に有名になった。大正4年退職して帰国、その後は河川の出水調査、海流びんによる日本近海の海流調査などを行い、創始者的な業績を残した。また気象観測練習会(現・気象大学校)の設立にも尽力。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報