喜田川守貞(読み)きたがわもりさだ

精選版 日本国語大辞典 「喜田川守貞」の意味・読み・例文・類語

きたがわ‐もりさだ【喜田川守貞】

江戸後期の風俗史家。本姓石原。別姓、尾張部。通称、季荘。大坂の人。江戸に移り、北川家を継ぐ。その著「守貞漫稿」は当時の風俗習慣を記録したもので、明治になって「類聚近世風俗志」と題して刊行された。文化七年(一八一〇)生。「守貞漫稿」自筆本中に、慶応三年(一八六七)の追記があるが、没年未詳

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デジタル大辞泉 「喜田川守貞」の意味・読み・例文・類語

きたがわ‐もりさだ〔きたがは‐〕【喜田川守貞】

[1810~?]江戸後期の風俗史家。大坂の人。本姓、石原。上方・江戸の風俗習慣を記録した「守貞漫稿」は、明治になって「類聚るいじゅう近世風俗志」として刊行された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「喜田川守貞」の意味・わかりやすい解説

喜田川守貞
きたがわもりさだ
(1810―?)

江戸後期の風俗史家。大坂生まれで本姓は石原氏。のちに喜田川氏を嗣(つ)ぎ、別に尾張部(おわりべ)守貞とも称した。1840年(天保11)江戸に移り深川に住む。彼の生涯については著作の『守貞漫稿』の自序によるほかはなく、没年は不明。『守貞漫稿』は、京坂や江戸の風俗、民間雑事見聞によって収集・分類した貴重な資料である。この書は1908年(明治41)に『類聚(るいじゅう)近世風俗志』と題して刊行された。

[山内まみ]


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朝日日本歴史人物事典 「喜田川守貞」の解説

喜田川守貞

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:文化7.6(1810)
江戸後期の風俗史家。本姓石原,名は庄兵衛,別に尾張部守貞と称し,季荘,舎山,月光庵と号した。喜田川は北川の代字かという。大坂に生まれ,商売で江戸に往来したようで,天保8(1837)年には江戸深川に仮寓したと思われる。11年9月以降は江戸に定住して砂糖を商う北川家を嗣ぎ,京,大坂,江戸3都の人情風俗を比較しながら記録する『守貞漫稿』を起筆した。これがのちに35巻の稿本として完成するが,その記述嘉永6(1853)年にまでおよぶ大部なもので,明治41(1908)年『類聚近世風俗志』として刊行されている。

(宇田敏彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜田川守貞」の解説

喜田川守貞 きたがわ-もりさだ

1810-? 江戸時代後期の風俗史家。
文化7年6月生まれ。大坂の人。江戸深川の砂糖商北川家をつぐ。天保(てんぽう)8年から嘉永(かえい)6年にかけての江戸の風俗,民間雑事を筆録し,上方と比較して考証,「守貞漫稿」にまとめた。この書は明治41年「類聚近世風俗志」として刊行されている。本姓は石原。別姓に尾張部。通称は喜蔵,庄兵衛。号は季荘。

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百科事典マイペディア 「喜田川守貞」の意味・わかりやすい解説

喜田川守貞【きたがわもりさだ】

守貞漫稿

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