四条天皇(読み)しじょうてんのう

精選版 日本国語大辞典 「四条天皇」の意味・読み・例文・類語

しじょう‐てんのう シデウテンワウ【四条天皇】

第八七代の天皇。名は秀仁(みつひと)後堀河天皇の第一皇子。母は藤原道家の娘竴子。二歳践祚(せんそ)し、九条教実(のりざね)九条道家近衛兼経などが相次いで摂政となる。在位一一年。貞永元~仁治三年(一二三二‐四二

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デジタル大辞泉 「四条天皇」の意味・読み・例文・類語

しじょう‐てんのう〔シデウテンワウ〕【四条天皇】

[1231~1242]第87代天皇。在位1232~1242。後堀河天皇の第1皇子。名は秀仁みつひと。2歳で践祚せんそし、九条教実くじょうのりざね藤原道家らが相次いで摂政となった。

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百科事典マイペディア 「四条天皇」の意味・わかりやすい解説

四条天皇【しじょうてんのう】

在位1232年−1242年。後堀河(ごほりかわ)天皇の皇子。名は秀仁(みつひと)。母は九条道家の女藻壁門(そうへきもん)院【そん】子(そんし)。誕生してすぐの4月に親王宣下(しんのうせんげ),10月に皇太子となり,翌1232年にわずか2歳で即位。これは前関白九条道家の画策によるもので,朝廷実権摂政となった九条教実(のりざね)とその父道家が握った。
→関連項目後嵯峨天皇西園寺公経泉涌寺

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「四条天皇」の解説

四条天皇 しじょうてんのう

1231-1242 鎌倉時代,第87代天皇。在位1232-42。
寛喜(かんぎ)3年2月12日生まれ。後堀河天皇の第1皇子。母は藤原竴子(しゅんし)(藻璧門院)。父の譲位をうけ2歳で即位。六波羅(ろくはら)探題が整備され,御成敗式目(貞永(じょうえい)式目)の制定などで幕府体制が強化され,朝廷監視がつよまった。仁治(にんじ)3年1月9日死去。12歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。諱(いみな)は秀仁(みつひと)。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「四条天皇」の解説

四条天皇
しじょうてんのう

1231.2.12~42.1.9

在位1232.10.4~42.1.9

後堀河天皇の第1皇子。名は秀仁(みつひと)。母は九条道家の女藻璧門院竴子(しゅんし)。1231年(寛喜3)皇太子となり,翌年後堀河天皇の譲位により即位。外祖父の道家や道家の岳父西園寺公経らが政治の実権を握った。42年(仁治3)天皇の没後,道家は順徳上皇の皇子を皇嗣に推したが幕府に拒絶され,幕府の推す後嵯峨天皇の即位まで,皇位は11日間空白となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「四条天皇」の意味・わかりやすい解説

四条天皇
しじょうてんのう
(1231―1242)

第87代天皇(在位1232~42)。名は秀仁(みつひと)。後堀河(ごほりかわ)天皇の第1皇子。母は中宮、藻壁門院藤原竴(たか)子(父九条道家)。1232年(貞永1)10月2歳で践祚(せんそ)、同12月即位。幼少のため九条教実(のりざね)、道家、兼経(かねつね)らが相次ぎ摂政(せっしょう)となった。在位約10年間に改元六度、12歳で没。陵墓は京都市東山区今熊野の月輪(つきのわ)陵。

[小野信二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四条天皇」の意味・わかりやすい解説

四条天皇
しじょうてんのう

[生]寛喜3(1231).2.12. 京都
[没]仁治3(1242).1.9. 京都
第 87代の天皇 (在位 1232~42) 。名は秀仁 (みつひと) 。後堀河天皇の第1皇子。母は九条道家の娘中宮藻壁門院そん子 (そんし) 。貞永1 (32) 年践祚次いで即位。九条教実,道家,兼経らが相次いで摂政となり補佐したが,12歳で崩御。陵墓は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵。

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367日誕生日大事典 「四条天皇」の解説

四条天皇 (しじょうてんのう)

生年月日:1231年2月12日
鎌倉時代前期の第87代の天皇
1242年没

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世界大百科事典(旧版)内の四条天皇の言及

【俊芿】より

…後世その戒律を北京律という。 俊芿滅後の1242年(仁治3)に没した四条天皇は,生前から俊芿の生れ変りと世に伝えられ,大葬も泉涌寺で執行され,遺骸は,表面に不可棄法師と刻された俊芿の石造卵塔墓のかたわらに葬られた。この由縁を契機に,こののち幕末まで多くの天皇・女院の陵墓が,泉涌寺の後にある俊芿と四条天皇の廟所に接して営まれた。…

【泉涌寺】より

…また楊貴妃観音はいまも境内の観音堂に安置され,その端正な容姿は海外伝来の仏像の白眉として名高い。当寺が皇室の菩提寺となった契機は,1242年(仁治3)みずからを俊芿の生れかわりであるとした四条天皇の葬礼が当寺で執行され,御陵が境内に営まれてからである。室町時代前期の後光厳天皇から幕末の孝明天皇に至るまで,歴代天皇の葬儀は当寺で行われることとなり,この間,江戸時代初期の後陽成天皇まで歴代天皇の荼毘所(だびしよ)ともなった。…

※「四条天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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