日本大百科全書(ニッポニカ) 「国泰寺(広島市)」の意味・わかりやすい解説
国泰寺(広島市)
こくたいじ
広島市西区己斐上(こいうえ)にある曹洞(そうとう)宗の寺。鳳来山(ほうらいさん)洞雲禅院と号する。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。1594年(文禄3)、豊臣(とよとみ)秀吉による朝鮮出兵に従軍した安国寺恵瓊(あんこくじえけい)は、朝鮮から持ち帰った木材で安芸(あき)安国寺(現不動院、広島市東区)を再建するとともに、当寺を建立して新安国寺と称した。のち広島城主となった福島正則(まさのり)は尾張(おわり)(愛知県)雲興寺の住職普照(ふしょう)を招いて、寺名を国泰寺と改め、臨済(りんざい)宗から曹洞宗に改宗した。国泰寺の寺号は、秀吉の諡号(しごう)「国泰寺殿前太閤(たいこう)相国雲山俊竜大居士(しゅんりゅうだいこじ)」にちなむ。江戸時代の領主浅野氏も当寺を厚遇し、寺領400石とし、城下曹洞宗寺院の触頭(ふれがしら)となった。1945年(昭和20)の原爆で堂舎は全焼。65年に再建されたが、78年にもとの中区中町の白神(しらかみ)社の隣から現在地に移された。浅野氏初代長晟(ながあきら)以下代々藩主の墓、赤穂(あこう)浪士大石良雄(よしお)妻の墓がある。
[水谷 類]